「いやぁ、ノブがあんなに泣くとは思わなかったー」
からからと笑う先輩の声が、体育館に響く。
横では信長が顔を赤くして、ぎゃあぎゃあ騒いでいるけれど、いつものことだから何も言わない。
今日で最後。
今日が最後。
今生の別れ、ってわけではないけれど、明日からは違う日々が来る。

「神、こんな後輩で大変だね」
座っていたパイプ椅子の上に立って、信長の頭を撫でながら、先輩が笑う。
俺も笑って、
「牧さんより厳しく行きますよ」
答えれば、くすぐったそうな顔をして頭を撫でられていた信長が、思い切り不満そうな顔をした。
今日は卒業式。
牧さんたちはまだ外で後輩に囲まれているんだろう。
なんだかんだ言っても、全国当たり前の海南のキャプテンは、女子には大人気だ。
ちょっと天然入ってるのも可愛い、んだそうだ。
あの顔で可愛いはないよね、とそれを聴いた先輩が爆笑していたのを、なんとなく思い出した。
「今頃、牧は撮影会だねー」
自分でかき混ぜてぐしゃぐしゃにした信長の髪を、今度は撫でるようにゆっくりと梳きながら、先輩が体育館の入り口を見つめた。
その先では、卒業式の余韻が残っているのか、ざわめきが聞こえてくる。
三人しかいない体育館だけ別の空間のように、静かだ。
さっきまで並んでいた椅子は、1年生の手によってすぐさま片付けられて、今はいつも通りの何もない状態に戻っている。
ここには誰かのすすり泣く音も、別れを惜しむ声も聞こえない。
練習の後によく三人で残っていた、あの時間と同じ。
三人で他愛もない話をして、笑ったりからかったりしていたあの時間と同じ。
今、先輩が立っている椅子は、いつもここにあって、俺と信長が部活の後にシュート練習をするのを眺める先輩が座っていたのと同じ。
黙って撫でられていた信長が、すん、と鼻を鳴らした。
「あら、またノブくん泣いちゃう?」
からかうように言って、先輩が、ぎゅ、と信長の頭を横抱きに抱えた。
真っ赤な顔をして、「泣いてないっすよ!」と叫ぶ信長と、笑いながらうんうんと頷く先輩。
笑って眺めていたら、手招きをされる。
近づけば、信長を抱えていた手を離して、両手をこちらに伸ばしてきた。
さらに近づいたら、その手が俺の頭をぎゅ、と引き寄せる。
「神」
笑っていた先輩の声が、少し震えた。
「やっぱ、寂しいね」
そう呟いたのが聞こえたのか、信長が、また鼻をすすった後、ぐい、と目をこすった。
先輩の、小さく笑う声が、耳元で聞こえた。
俺はそっと先輩の背中に手を回して、とんとん、と軽く叩く。
「この席、取っておきますよ、先輩用に」
頭から首に回された腕に、少し力がこもる。
「監督にも座らせないで、先輩用に取っておきますよ」
笑って、
「絶対だよ」
って言った先輩の声はもう震えていなくて、もう一度、ぎゅっと俺の首に回した手に力を入れた後、ゆっくりと離れた。
またぐしぐしと涙を浮かべ始めた信長を見て、椅子の上の先輩と、俺は、同じ高さで目を合わせて笑った。

「神、ノブ、三人で記念写真撮ろう」


泣いている信長の顔を、デジカメで撮りまくっている先輩。もう諦めたのか撮られるままの信長。それを見て笑ってる俺。
三人で過ごした1年は、代わり映えなくて、いつも同じように流れていて。
なのに、今日で終わるなんて、実感が沸かない。
明日も明後日も、同じようにこうして三人で過ごしていそうなのに。

「やっぱり、俺も寂しいですよ」

離れたところで騒いでいる二人に聞こえないように、小さく声に出した。
記念写真は、もう少しだけ後にして。
この時間があとちょっとだけでも長く続いて欲しい。
卒業しても、きっと先輩は、あの日と同じように「私はいつでも神の味方だよ」って言ってくれるだろうけれど、「いつまでも神は大事な後輩だよ」って言ってくれるだろうけれど。
離れるのは、やっぱり寂しい。
だからもう少しだけ、こうしていたい。

「じーんー」

少し遠くからカメラをこっちに向けた先輩が、大きく手を振っていた。
卒業おめでとう、は帰り道に回して。
今は三人で笑っていられればいい。