「ー。ー」 酔ったときだけ呼ばれる名前。 「はいはい、今日も楽しかった?」 もうお母さんの気分だ。 ぎゅっとしがみついたままの背中を軽く叩いて、連れ帰ってくれた吉良くんにお礼を言う。 「さんも大変ですね」 苦笑いしているのは、自分の隊の隊長を思い出しているからだろうか。 私も同じように少し眉を寄せて笑う。 「もう何十年と同じことしてるから」 何十年と代わり映えのない関係。 けれど、明日にも崩れるかもしれない関係。 崩れるのなら、代わり映えなど望まないのだけれど。 濃い目にお茶を入れて、部屋まで持っていく。 これも、酔ったときの彼にしてあげることのひとつ。 酔っているときはなぜか饒舌になる彼に付き合って、一緒にお茶を飲んで過ごす。 部屋の障子は開け放ってある。そこから差し込む月明かりのもとで過ごすこともあるし、雪がちらつくのを眺めながらの夜も、虫の音を聞きながら過ごす夜もある。雨が降り続ける夜も、障子は開け放したまま。 何事も起こらない、起こさない、そう線引きをするかのように。 ぽつりぽつりと、けれど途切れることなく話す彼の言葉に、軽く相槌を打つ。互いの茶碗が空になっても、彼の話が途切れて眠りにつくまで、それは続く。 「」 「ん?」 少し離れたところに座っている彼に目をやる。 今日は月明かりが部屋の奥まで差し込むほどで、空を見上げれば満月が浮いている。 「どうしたの?」 月明かりに照らされた顔は、酔っているのかいないのか、顔色だけでは判別できないほどまじめな顔をしている。けれど、だいたいこういう顔をしているときは、酷く酔っているのだ。そんなの、何十年も見ていれば、いい加減判断がつく。 「膝」 少し体を浮かせて、前のめりに倒れてきたかと思うと、私の膝の上に、彼の頭が乗った。 瞬間、びくりと体が反応する。 けれど、すぐに慣れる。 どうせ酔っているからなんだろうから。 私はゆっくりと膝の上の髪を指で梳いた。 「なぁ、俺たちさぁ」 彼が酔ったいつもの夜のように、ぽつり、と言葉を漏らす。 私もいつもの夜のように、「ん?」とだけ返事をする。 「いつまでこうやってんだろうなぁ」 一瞬指が止まって、思い直したようにまた動かす。 髪は、見た目よりも細くまっすぐしている。さらり、と指の間から滑って落ちる。 「そうだねぇ」 ゆっくり、ゆっくりと髪を梳く。 「この先何十年も同じかもしれないし」 「うん」 「死ぬまでこうやってるかもしれないし」 「うん」 「まぁ、隊が変わったら出来なくなるよね」 「うん」 「それと」 私は指を動かすのを止める。 止まった指を訝しむように、膝の上の頭が少し動いて、真上にある私の顔を見た。 私はその顔を見て、少しだけ笑った。 「今日限りかもしれない」 とろり、とした、もうすぐ眠りにつきそうだった目が、ぱちりと開く。 「なんで」 私はまた、頭に置いたままだった手をゆっくりと動かす。 そう、今日を限りかもしれないその感触を、指に覚えさせるように。 「明日、檜佐木くんに恋人が出来たら、お役御免だから」 そう言うと、彼はため息のような笑い声を漏らした。 「それなら、大丈夫だ」 眠気を思い出したかのように目が細められる。 「俺、お前に恋人が出来るまで、恋人作らないから」 今度は私の目が、ぱちりと開く。 「なに言ってんの」 思わず少し眉を寄せて笑う。 「本気。俺、お前に、恋人できたら、好きなやつ、探すから」 眠ってしまうのかと思うような、のんびりした声。閉じられた瞳。 「そんなこと言って」 開け放たれた障子の向こうには、満月がまだ煌々と輝いている。 もう眠ってしまったのか、何も返してくれない彼の髪を、それでもゆっくりと梳く。 月明かりに照らされた顔は、穏やかに小さく吐息を漏らす。 何十年も代わり映えのしない関係は、明日にも崩れるかもしれない。 このまま平行線を辿って、環境の変化を待つだけなのかもしれない。 けれど、私が変わらなければ変わらない、と言ってくれるのなら、 それなら、 「私、一生一人でいるかもよ?」 眠ったのかと思った瞳が、少しだけ開いて、笑った。 「そしたら、俺が一生隣にいてやる」 止まってしまった私の指を、彼の髪がするりと通り過ぎて、むくりと起き上がった。 起き上がって、 「ってのはどうよ」 に、と笑った。 「冗談ばっか」 つられて笑えば、 「俺、冗談は言わない主義だから」 笑ったまま手を伸ばしてきて、私の手を握った。 「だから、一生一人でいる必要はねぇよ」 私は小さく頷いた。 「一緒にいよう」 |