一週間って長いんだな、と思った。 毎日忙しいはずなのに、どうしてこんなに時間が進むのが遅いんだろう。 周りに人がいたら引かれてしまいそうなほど大きなため息が漏れた。 今日だけで何回ついているのか分からない。 ため息ついたら、幸せが逃げるっていうのは現世だけの話じゃなくてここでも同じだろうか。 部屋にいるのが耐えられなくてそれならと真夜中の散歩と洒落込んだのは良いけれど、肌寒い上に曇り 空で星すら見えないこんな夜じゃ、部屋に一人でいた方がまだましだったかもしれない。 ひとつケチがつくと、次から次に嫌なことや良くないことが重なって、ここまで来るともう何でも来い、という感じ。今なら何があっても、それが運命だと受け入れられる気すらする。 私はため息の変わりに、大きく伸びをした。 時計は持っていないけれど、もうそろそろ明日になるだろうか。 明日になったら。 立ち止まって空を見上げる。 雲の向こうにうっすらと月が見える。 雲が晴れればいいのに。 明日になったら、全部イチからやり直そう。 こんな気持ちは捨ててしまおう。 ただの上司と部下になればいい。 同期だなんて甘えは捨ててしまおう。 呼び方から変えれば、きっといつかこの気持ちも薄れていく。 仕事の話ならばしてくれる、というのなら、仕事だけの関係でいればいい。 開いていく距離を、私は笑って耐えられるだろうか。 「檜佐木、副隊長」 練習するように呟けば、言い慣れない呼び名に苦笑いが浮かぶ。 いつか、この呼び方に慣れて、くん、と呼んでいた頃を懐かしく思う日が来るだろうか。 見上げた空がぼやけた。 「お前に、副隊長とか呼ばれると、気持ち悪ぃ」 突然後ろから聞こえた声に、慌てて振り返った。 振り返った拍子に涙が零れるから、急いでそれを拭う。 「あ、悪い。驚かせたか」 普段どおりの、ここ一週間は見たことがなかったけれど、普段どおりの空気を纏った檜佐木くんが近づいてくる。 「なに泣いてんだよ。ちゃんと誕生日間に合っただろ」 ぽん、と檜佐木くんの手が頭に触れた瞬間、自分でも驚くほどに涙が出てきた。 一週間、あんなに長かったのに。 その一言で、その手で、簡単に何もなかったことにしてしまう。 それが悔しくて、けれど一番望んでいたことで。 私は子どものようにしゃくり上げながら泣いた。 檜佐木くんは少し苦笑いを浮かべながら、それでも私の頭をゆっくり、ゆっくり撫でている。 「なんか、久しぶりだな」 ようやく涙の収まった私は、手ぬぐいで口元を押さえて座り込んでいる。 隣には檜佐木くんが座っている。 瞼がはれぼったくて重たい。 なにが、と問う代わりに重たい目で隣を見れば、「すげぇ腫れてる」と笑って私の瞼に手を伸ばす。 ひんやりとした手が、私の瞼を覆った。 「が隣にいるの、久しぶりだな」 冷たい指先が気持ち良くて、目を閉じて触れられているまま、小さく頷いた。 「やっぱ、落ち着くわ」 私の目は檜佐木くんの手に覆われているから、檜佐木くんがどんな顔をして言っているのか、ちっとも分からない。 けれど、声はいつもより少しだけ、ほんの少しだけ柔らかく優しく聞こえる。 久しぶりにこうして近くで声を聞いているからだろうか。 嬉しい、と思う。 この一週間がなかったかのように隣に彼がいることを、嬉しい、とだけ思った。 瞼から手が離れていく。 ゆっくりと目を開ければ、笑う檜佐木くんが見えた。 「誕生日、おめでとう」 ようやく私も笑えた。 「ありがとう」 膝を抱えなおしてから、もう一度小さく笑う。 「今日言われた中で、一番嬉しい」 「おー。そりゃ良かった」 「ほんとだよ」 笑って言う。 笑って隣を見れば、檜佐木くんは笑っていなくて、少しまじめな顔でこちらを見ている。 「一週間、考えたんだけどさ」 視線がそらされて、檜佐木くんが空を見上げる。 つられて見上げれば、雲は晴れて月が見えている。 「には、俺の隣にいて欲しい」 空を見上げていた私は、声につられるように隣へと視線を移す。 まっすぐな目が私を見ている。 「うん」 思わず、としか言いようがないけれど、思わず零れたのは曖昧な頷き。 「お前、意味分かってんの?」 まじめだった顔が、呆れたような顔に変わる。 「今まで通り、って意味じゃねぇからな」 そう言われて、ようやく頭が動き出した。 「え、だって、こないだ檜佐木くん、私は対象外だって」 「だーかーらー。一週間考えたっつっただろが」 ガシガシと自分の髪を乱して、檜佐木くんがぶつぶつと何か言っている。 私は、と言えば、びっくりしすぎて、何も言葉が出てこない。 だって、ほんの一時前まで、何もかもイチからやり直して、ただの部下と上司に、とか思っていたのに。 隣にいて欲しい、そんな言葉、まさか聞けるなんて思ってもいなかった。 「当たり前だと思ってたんだよ、が隣にいるのが」 私は黙って頷いた。 「けど、同じなんて無理だろ。俺たち、何の約束もしてねぇし。でも、誰かが、他のやつが」 檜佐木くんの手が伸びて、私の頬に触れる。冷たい指先がゆっくりと頬を撫でる。 「こうしてるのは、見たくないんだよ」 少しだけ眉を寄せて、切なそうな顔になる。 「いまさらかもしれねぇけど、俺以外のやつがやってんの、見たくねぇんだよ」 私は頬に触れるその手に、自分の手を重ねた。 「誰も、しないのに」 笑えば、 「こないだ、誰かにやらせてただろ」 少し拗ねたような顔になる。 「それ、四番隊の人。顔に傷がありますよ、って」 重ねた手を耳の下にもって行き、傷跡に触れさせる。まだ少しだけ残っている傷跡。 「ね」 檜佐木くんの指が、傷跡をそっとなぞるように動く。小さなため息が聞こえた。 私は重ねた手と違うもう片手を檜佐木くんに伸ばす。 そっと頬の刺青に触れた。初めて触れる彼の頬の上で、指先が、震えた。 「檜佐木くんを」 自分を落ち着かせるように、小さく息を吸い込んで、小さく吐き出した。 顔を上げれば、まっすぐに私を見る檜佐木くんと目が合う。 「檜佐木くんだけを、ずっと好きなの」 視線を逸らさずに言えば、一瞬、目を見開いて驚いた顔をしてから、檜佐木くんが笑った。 「なら良かった」 そう言って私の頬から手を離すと、そのまま背中に回して、ぐい、と私を引き寄せた。 「、顔真っ赤」 「心の準備、出来てなかったんだもん」 「誕生祝いってことで」 少し笑いを含んだ声の後ろから、今日から明日へと変わる鐘の音が聞こえる。 その音を聞きながら、私は赤くなっているらしい顔を隠すように、両手を彼の背中へと回した。 早い鼓動は私だろうか。檜佐木くんだろうか。 頬に触れる温もりが愛しくて、口元が綻んだ。 「好きだよ」 檜佐木くんの口からそれが聞けたのは、明日を告げる鐘の最後のひとつが鳴り終わる寸前。 |