これは仕事だ、言い聞かせても、納得が行かない。 「そうは思いませんか!!」 隣の仮眠室で寝ようとしている上司を寝かせない勢いで、私は叫んだ。 「だって、職場も自室も同じ隊舎内じゃないですか!だったら、なんかあったら、地獄蝶で呼べよって話じゃないですか!!」 今日は宿直当番じゃないのに、なんの陰謀か、私は宿直室に閉じ込められている。 挙句、仮眠室には上司がいる。 宿直なんてしなくて良いはずの立場の人がなんでこんなところに、そう聞いたら、昼ごはん3回を宿直1回で買ったんだそうだ。どんな貧乏だよ。 私の場合は、実のところは陰謀でもなんでもなく、 「今日、彼氏が早番なのぅ。次の宿直と変わるから、今日交代して!」 という、同期の頼みを断りきれなかった、というだけの話だ。 現世で売っているケーキを、ホールで、という賄賂も効いていることは確かだけれど、実際こうして宿直室に突っ込まれてしまうと、遅番とは言えほぼ通しで働かねばならない、という状況に、体が思い切り睡眠を欲している。 それは隣の仮眠室で横になっている上司も同じで、ならば、そうそう事件も起きなかろう現状、二人しておきている必要はないのではないだろうか、という、本来ならそんなことを言い出す部下を叱る役目の上司からの提案で、じゃんけんのもと、勝った方が寝られる、という勝負をした。 じゃんけんは時の運。 上手いも下手もない(はず)。 この人とじゃんけんをしたことはないので、私の出す手が読まれている、ということもおそらくない。 なのに、2時間交代のこの仮眠勝負、私は立て続けに負けているのだ。 もうこれで3回目なんだから、「今回は代わってやるよ」くらい言ってくれるかと期待したけれど、にっと笑った上司は、 「じゃあ、もう一眠りするか。なんかあったら起こせよ」 とまた布団にもぐりこんでしまったのだ。 納得いかん。 「だいたい、さっき人のケーキ半分以上も食べておいて、悪いとか思わないんですか!食った分くらい、こっちに良い思いさせてくれたっていいじゃないですか!」 目の前には、空のケーキの箱。 ちなみに私が食べたのは、1/4だ。 甘党だとは聞いていたけれど、それは和菓子に関してだと思っていた。まさか、洋菓子までいけるとは思っていなかったから、つい、うっかり、「ケーキ、食べますか」なんて聞いてしまったのだ。赤毛の上司は、目をきっらきらさせて、「おう!じゃあ遠慮なく!」と、本当に遠慮もなにもなく、ばくばくと半分以上食べてしまった。 現世では、けっこう高い部類に入る、という、このケーキ。 宿直で一緒に組む人と1/6でも4/1でも食べて、残りの半分くらいはまた翌日楽しもう。 そう考えていた私の計画は、脆くも崩れ去った。 ぎっ、と仮眠室を睨みつけると、こちらに背中を向けて、すやすやと、気持ち良さそうな寝息を立てているのが分かる。 これだけぎゃんぎゃん叫んでも寝るとは、腹立たしいをとおり越えていく気すらするけれど、そうは問屋が卸さない。 食べ物の恨みは恐ろしい。 彼には、この言葉を身に染みて分かってもらいたい。 というか、そもそもは食べ物の恨みじゃなかったような気もするが、この際、その点においては目を瞑ることにする。 私は、地団駄を踏むのを止めて、周りを見回した。 自分の手提げが目に入る。 そういえば、あの中に、現世でもらった筆記具が入っているはずだ。 うちの上司と仲良しの現世の橙色の子が、大きな紙に文字を書いているのを眺めていたら、「欲しいのか」と聞いてきたので、欲しいわけじゃなかったけれど、とりあえず頷いたらくれた。「へんなとこに書いたら落ちなくなるから、気をつけろ」って言っていた。 落ちないようなもんを、どこで使うんだ、と思って手提げに入れたままにしていたけれど、これは、使うところが出来たのではなかろうか。 顔も体も刺青だらけだ。 黒い線が一本二本増えても、大差ないだろう。 どうせなら、現世で立ち読みしてきた本の主人公みたいにしてやろう。 私は筆記具を片手に、そっと寝息を立てる上司に近づいた。 結局何も起こらず、朝が来た。 結局上司は宿直とは名ばかりで、仮眠室で寝てばかりだったくせに、「布団が固い」とかなんとか、生意気なことを言っていた。あれだけぐうぐう寝ていながら、どの口がそれを言う、と思ったけれど、黙っておいた。 一晩中起きているハメになった私は、宿直が終われば、勤務終了。部屋に帰って眠るだけだ。 上司はこれから日勤だから、それを考えたら、ちょっとは寝ていないと体が持たないよな、なんてことを、朝日に照らされた帰り道を歩きながら思った。 「くああああ」 伸びをしたとき、袂から何かが落ちた。 拾い上げてみれば、それは橙色からもらった筆記具。 私は朝の上司のおでこを思い出して、くつくつと笑った。 きっと、朽木隊長に朝の挨拶に行った時、何か言われるだろう。 それが私のせいだと気付くまでに、どのくらい時間がかかるだろうか。 それまでに、私は安全に眠れるところへ避難しておこう。 私は後ろを振り返り、耳を澄ませた。 まだ大丈夫。 「牛丼一筋三百ね〜ん」 朝風呂に入る余裕くらいはあるかもしれない。 筆記具片手に、私は部屋へ向かうのとは違う道をちょっぴり急ぎ足で歩き出した。 |