大晦日の朝、いつもよりも早く目が覚めた。
起きたものは仕方ない。ひとつ伸びをして布団から抜け出る。

食堂へ向かうと、もう明かりがついていて、なんだか音がしている。
ガラリ、と戸を開けると、
「おはようございます」
すっきりと通る声が響いた。
「おう」
小さく返事をすると、そいつは出していた顔をまた引っ込めて台所へ戻っていった。
てきぱきと動く背中を見ながら、煙草に火をつける。
起き抜けの一本。
ゆっくりと頭が覚醒していく感覚がじんわりと上ってくる。

「今日は早ぇんだな」
背中に声をかけると、
「おせちの準備が終わらなくて」
なべを持って振り返る。
「おそばはお願いしてあるんですけど、おせちはやっぱり自分で作らないと」
山本さんお休みだから、そう言いながらも楽しそうにそのなべを火にかけ、冷蔵庫から何か取り出している。
「帰んねぇのか、家には」
実家はこの辺りでも有名な薬種問屋だと聞いたことがある。こんなところで働いていなくても困ることはない上に、誰かに使われるなんて立場にいる必要もないだろう。
そんなやつが、いつまで続くやら、そう思ってみていたが、意外にも1年経とうとしている。
「帰りますよ、年明けてから」
何かを作りながら、こっちを見ることなく話す背中をぼんやりと追いかける。
「親は何にも言わねぇのか」
「仕事ですから」
私も父も、そう言ってようやく振り返る。
「別に親子仲が悪いわけじゃないですよ」
笑うその顔は、こっちの気にかけていたことを見透かすようで、居心地が悪くなり煙草を灰皿に押し付ける。
「朝ごはん、もう召し上がりますか?」
「おう」
こいつがここで住み込みで働くようになってから、夜遅く帰ってきても温かい食事が摂れるようになった、と隊士たちが喜んでいたことを思い出す。
監察である山崎は時間帯が不規則でいつもの夕食の時間にはいないことが多いせいか、特に喜んでいたような気がする。

今日2本目の煙草に火をつけ、机に載っていた新聞を引き寄せる。
日付は今日のもので、新聞から目を上げ、台所で動く小さな背中を見やる。
ったく、細けぇところまで気がつきやがる。
小さく笑うと、それが聞こえたのか振り返り、やつは少し首をかしげた。それから、少し曖昧な笑顔を見せると、一人分の食事を載せた盆を持って近づいてくる。

「どうぞ」

ひとつずつ湯気の出た皿を並べて、最後にことりとビンを置く。
気付いたら、いつも新しいものが並ぶようになった。毎日毎日、それを新しく作らせるという余分な手間を、俺はかけている、ということだ。
「わりぃな」
そう言うと、一瞬きょとんとした顔をした後、
「仕事ですもん」
ご飯作るのが、そう言って笑った。
「けど、こりゃ別だろ。手間かけさして、わりぃな」
ビンをつかんで軽く振って見せる。
「そんなことないですよ」

美味しそうに食べてくれるなら、手間じゃないですよ

そう笑う顔に、不覚にもどきりとして眉を寄せた。
らしくねぇ。
今にも落ちそうになった煙草の灰を、灰皿に落として火をもみ消す。
「買って来るやつでもいいんだぜ」
台所へ戻る背中に言うと、
「作ったのじゃ、美味しくないですか?」
足を止めて、けれど振り返らずに言う。
「いや、そんなこたぁねぇけど」
「美味しくないのなら、買ってきますけど...」
「いや、だから不味いとか言ってねぇし!」
慌ててフォローにならない言葉を挟むと、くるりと振り返って、
「じゃあ、もっと上手に作れるようになりますから」

だから、作らせてください

そう言って頭を下げる。
そんなつもりじゃなかったんだけどな、小さくため息をついて、「おう」とだけ答える。
それだけなのに、一気に表情を変えて嬉しそうな顔を見せると、
「よ〜し、頑張るぞ〜」
すでにたすきがけしてある袖をまくる振りをしながら台所へ戻っていく。
その後姿を眉を寄せながら苦笑いして見送り、箸を取り上げ、まだ温かい玉子焼きをつまむ。
食べようと口を開けたときに、また台所から顔を出して、
「土方さん」
名前を呼ぶ。
「んあ?」
そのまま玉子焼きを口に入れて返事をすると、
「来年は美味しいマヨネーズ、作れるようになりますから」
そこで一息ついてまた口元に笑みを乗せ、
「どうぞよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて、くるりを向きを変える。
もごもごと玉子焼きを喉に押し込んで、マヨネーズのビンに目をやる。
手作りのそれが当たり前のように食卓に並ぶようになって以来、外で食べるマヨネーズに物足りなさを感じるようになった、と言ったら、あいつは喜ぶんだろうか。
俺の中のマヨネーズナンバーワンは、お前の作ったやつだよ、と言ったら、あの笑顔でまた笑うだろうか。

食べ終わって席を立つついでに、ご馳走さん、と声をかけるつもりで台所を覗くと、ぱたぱたと動き回っていて、覗くこちらには気付いていないようだった。





振り返った彼女に、「ご馳走さん」そう言うと、びっくりした顔の後、
「土方さんにようやく名前覚えてもらった」
笑った。
「ばかやろ、名前くらい当の昔に覚えてんだよ」
「だって、一度も呼んでくれなかったじゃないですか」
「るせぇな。これからは呼んでやるよ」
ったく、と軽く舌打ちして彼女を見ると、おたまを持ったまま顔を赤らめて、小さくガッツポーズをすると「やった」とつぶやいた。
その顔にまたどきりとしたのを隠すように、もう一度、

名前を呼んで、
「来年もよろしくな」
それだけ言って、今度は顔も見ずに食堂を出た。
来年、今よりも旨いもん作ってきたら、今度はちゃんと「うめぇ」って言ってやるよ、そう思いつつ煙草に火をつけた。