どっかんと大きな音を立てて玄関を開けて、「おかえりー」の声はとりあえず無視して、台所に突入。 マジでむかつく。 イライラする。 実際イライラするときって、本当にカルシウムが足らないんだろうか。 まぁとりあえず牛乳飲む。 なんたって喉渇いてるし。 勢い良く開けた冷蔵庫の定位置に、けれど牛乳は入っていなくて。 「姉ちゃん!」 ばたん、と大きな音を立てて冷蔵庫を閉めると、居間にいる姉ちゃんのところへのしのしと向かった。 「お帰りー」 姉ちゃんはソファに座って雑誌を読んでいて、向かいには弟がカップを両手で抱えて座っている。 「俺の牛乳、飲んだだろ」 バッグを床に放り投げて前に立てば、ようやく雑誌から顔を上げた姉ちゃんが、「しー」と口元に指をあてて、台所を指差した。 「んだよ、あれは俺んだって言ったじゃんか」 背中を押されるようにして台所に押し込まれてから、居間の方を気にしてる姉ちゃんに俺は小声で文句を言った。 「ごめんて。ココア作るのに牛乳欲しかったんだもん。あとでスーパー行ったときに買ってくるから」 「ココアぁ?」 「ほら」 姉ちゃんが指差した先には、弟がいて、さっきは分からなかったけどなんというか、ものすごい負のオーラ出しまくりで。 そんな弟の姿を見ていたら、カリカリしていた気分が、なんでかすぅーと落ち着いてしまって、ようやく台所に甘い匂いが立ち上ってるのに気付いた。 「岳人の分もあるから」 姉ちゃんがまだ湯気の立ってるココアを、鍋から俺のマグカップに移してくれる。 「牛乳買ってくるまで、これで我慢して」 受け取ったマグカップに口をつけて一口飲む。 弟用に作ってるから、俺や姉ちゃんが飲むときよりも少し甘めになってる。 弟がなにかあって凹んだときは、なんでかココアを欲しがることが多くて、大方今日もなんかやらかして怒られて、姉ちゃんに泣きついたんだろうけれど。 「あいつ、なんであんなに凹んでんの」 空になった鍋をシンクに入れて水を張ってから、姉ちゃんはやっぱり小さい声で、 「失恋」 それだけ言った。 「は?」 「失恋だよ。ブロークンだよ」 「いや、それは分かるけどさぁ。なに、振られたの?」 適度に冷めたココアを一気に飲み干してから、帰ってきてからの手洗いうがい忘れてた、って思い出した。 もういまさらだけど、風邪引いても困るから、鍋を避けるようにしてシンクで済ませる。 手を拭くのにタオルを探してたら、姉ちゃんが新しいタオルを持ってきてくれてた。 タオルを渡すときに、しみじみと上から下まで見られた。微妙にその視線に憐憫を感じるのは気のせいか。 「んだよ」 「あの子ね、好きな子に「自分より小さい人はやだ」って言われたんだって」 「ふーん」 うちの家系は、父親に似ればもう少し大きめに育ったのかもしれないけど、なぜか体格だけは母親に似てしまったようで、姉ちゃんも俺も弟も普通よりは小柄だ。 まぁ俺は中三だし、男は高校入ってからでも伸びるっていうから、これからまだ伸びるとは思ってるけど。 「小学生なんてさぁ、まだ男の子の方が体も小さいから、すぐにその子より大きくなるよ、って言ったんだけどねー」 好きな子から、そんなこと言われたら、普通凹む。 俺は今んとこそういう相手もいないし、言われたこともないけれど、凹む気持ちは良く分かる。 小さくて可愛いなんて、褒め言葉じゃねぇし。 あいつもかわいそうになぁ、と思って眺めていたら、姉ちゃんは勘違いしたのか、 「あんたまで凹まないでよ」 ぼすんと横っ腹を軽く殴ってきた。 「凹んでねぇよ」 タオルを投げつけたけど、上手に避けた姉ちゃんにまで届かずに、へろん、と落ちた。 姉ちゃんはそれを拾い上げてテーブルに置きながら、弟の話はお終いにしたのか、いつも通りの声で、 「つか、あんたもなんか凹んでたでしょ」 少しからかうような感じで言った。 「は?」 俺をシンクからどかして前に立って、腕まくりをした姉ちゃんが、に、と笑った。 「二人とも、なんで凹むとカルシウム取りたがるかねー」 お姉ちゃんはなんでもお見通しさー、なんて鼻歌歌いながら、がしがしと鍋を洗って、俺のマグも洗って、居間にいる弟にも大きな声で、「飲み終わったら持ってきてー」って叫んだ。 弟は、ココアを飲んで落ち着いたのか、「はーい」って機嫌の良さそうな返事をした。 台所にカップを持ってきた弟は、俺よりもまだだいぶ小さくて、俺よりも小さい姉ちゃんよりも小さくて、けど、俺だってこいつの年のときは姉ちゃんよりも小さかったし、父さんの血も流れてるんだから、俺たちはもう少し大きくなれるはず。 ぼす、と弟の頭に手をやる。 なんだよー、と言いながらも弟は頭に手を乗せたまま、姉ちゃんにカップを渡した。 「これ洗い終わったら、スーパー行ってくるけど、牛乳以外にいるもんある?」 クルクルと姉ちゃんの手で洗われてるカップをちょっと眺めてから、 「俺、着替えてくる」 弟の髪を、ぐしゃっと撫でた。 「今日は三人でスーパー行こうぜ」 |