じゃあいいよね。


って言ってしまったあと、あぁ、失敗した、そう思った。
じゃあいいよね、私がいなくても。
続けようと思った言葉は、喉の奥で止まった。
別れたくなんてないくせに。
ただのやきもちなのに。
止めてくれるなんて、そんなおこがましい気持ち、どこから生まれてきたんだろう。
じゃあ別れようか。
そう言われたら引き返せない。
気付いて怖くなって誤魔化して教室から逃げた。



用意周到にかばんの中身も全部整えて屋上へ逃げてきた。
けれどさっきから開いている文庫本は同じページを開いていて、目で追っているのも同じ行だけで。
当然話なんて頭に入ってくるわけもなく。
私は寄りかかっていたフェンスから、コンクリの床にばたりと倒れこんだ。
くるりとまた半分回って、仰向けになって空を眺める。
今日は一日良い天気で、まだ3時の空も明るくて、綺麗な青空。

心境と空までシンクロしたら、さらに最低な気分になるところだったろうから、今日が晴天なのはまだ救いがあるってことかな。
あ、でも雨だったら泣いてもばれないなぁ、って、ドラマみたいなことしても、次の日、学校に行くのに制服が濡れてたら困るしなぁ。

私は空を見上げたまま、ぶつぶつとつぶやいていた。




『あたしのことよりも』

「バスケ好きなんだね」

『一番になりたいとか言わないけれど』

「じゃあいいね」

『あたしがいなくても』


じゃあいいね、って言った後、彼は変な顔をしていた。

「何がいいの?」

って、困ったような顔をして笑った。
うらやましいなって思って、なんて、心にもないことを言って誤魔化した。

私と付き合っていてもいなくても、彼の生活は何も変わらないだろう。
朝練をして授業を受けて午後錬をして、休みの日は朝から練習をして。
練習の後に私を駅まで送ることも、夜にする私との電話での会話も、時々一緒に食べる屋上でのお昼ごはんもなくなる分、楽になるかな。


私は、逆にいろいろ変わってしまうんだろうなぁ。


頭を横に傾けて、両腕を広げて大の字になる。

まず、彼との電話がなくなる、時々食べる屋上でのお昼がなくなる、それだけでとても寂しい。
彼が名前で呼んでくれなくなる、あぁ、だめだそれはつらい。
廊下で目が合った時にあの笑顔で笑ってくれたのがなくなる。
時々練習が終わるまで待って一緒に帰るのもなくなる。
だめだ、全部つらくて悲しい。

生活が変わるわけじゃないし、私にも打ち込める部活もあるし、楽しく過ごす友達もいる。
けれど、私の中で彼の占めている割合が大きすぎて、なのに彼の中の私の割合はきっと笑っちゃうくらい少なくて、今の私のポジションが他の誰かになったところで問題はないんじゃないか、と思ってしまう。

私と付き合っていなくても、私じゃなくても、いいよね。
じゃあもういいよね。

結局、そんなことを思ってしまうのは、自信がないからだ。
それは分かってる。
自分から付き合ってくれ、と言って、優しい彼が頷いてくれた。
好きだなんて言葉は、私が付き合ってくれ、と言ったときに私が告げたあの日だけで、それから後二人の間にそんな言葉はなくて、彼の気持ちが分からない。
手を伸ばせばそっと握り返してくれる。寄り添えばそっと髪を撫でてくれる。笑いかければ大好きなあの笑顔で笑ってくれる。
それが好意なのか優しさなのか。好意だとしたら、それに恋心は含まれているのか否か。
一緒にいてもちっとも分からないから、不安になる。


「だめだ〜」

口に出してまた仰向けになると手で顔を覆う。
考えないように、考えないように、そこから逃げるようにして考えないようにしていたのに。
一度考え始めると、際限なく頭の中をグルグルと回ってしまう。
だから、放課後の部活へ行くまでの短い時間に少し話をしたときに、
「じゃあいいよね」
なんて言葉が出てしまった。本当に今は後悔している。
自信がなくてもなんでも私は彼が好きで彼と付き合いたいと思っているから、もし彼がそう思っていなかったとしても彼が別れようと言うまで、見て見ぬ振りをして彼女という立場にすがっていくだけなのだ。
あんまりにも自分本位だけれど、彼の気持ち云々よりも、彼が好きだという自分の気持ちしか分からない今は、自分の思いを優先させるしかないんだから、仕方ないと思う。



空を見上げると、やっぱりまだ青く広い空で。
あぁ、ここに彼が迎えに来てくれたら良いのに、と思うけれど、もう部活が始まる時間だからまじめな彼は体育館へ行っただろう。
今日は練習が終わるのを待たずに帰ろうかな。
よいしょ、と起き上がりながら私は考える。
空は青いし、良い天気だし、悲しいことは考えずに公園でも横切って帰ってみようか。
金木犀が咲いていて、良い匂いがしていた気がする。
そういえば、夜に一緒に通ったとき、彼が、「あ、金木犀咲いてるね」って言っていたのを思い出して、結局彼のことばかりだ、と自分を笑った。

さあ帰ろう、とかばんを持ち上げると、携帯が転がり落ちた。
傷ついちゃったかなぁ、と取り上げたら、メールが届いてた。


『帰り、待っててね』


タイトルに用件入れちゃって、本文は、『絶対に』だけ。
そんなメール、初めてもらったよ。
私は携帯を握り締めた。口元が緩んでいくのが分かる。
彼が私を好きかどうかは分からないけれど、帰りを待っていて欲しいと思ってくれているのなら、私はそれが嬉しい。
今日の帰りも、あの公園を横切って帰ろう。
金木犀の匂いをかぎながら、もう一度あの日のように彼に告白しよう。
いつも自信はないけれど、彼のことが好きだっていうのは、自信を持って、不安もなく、大きな声で言えるから。
一回しか言ってない「好き」を出し惜しみしないで、ちょっと積極的に行っても良いよね。
もう一度メールを読み返してから、私は屋上のドアを開けた。