そういえば課題があったんだ、と気付いたけれど、提出は今日中で、なのに俺のプリントはまだ真っ白で、あと1時間もすれば部活が始まるから、全問自力で考えてる暇なんてない。 うわ〜、どうしよう、と焦っていたら、目の前をプリントが通った。 というか、通ったのはプリントを持ったなんだけど。 思わず俺は、の腕をつかんで、「課題見せて!」と叫んでいた。 実は、入学式のときからずっとが可愛いと思っていた。 背は小さめで、顔も小さめ、髪は肩につくくらいのストレートで、誰から見ても可愛い!ってわけじゃないけれど、まつげが長めの目と、ふっくらした唇が、もう、俺の好みのどんぴしゃ!って感じで、まずは見た目から入った。 同じクラスで過ごすうちに、友達と話してるときの声や笑顔、ちょっと控えめな性格だけど、友達に何かあるとすっと手を出して助ける、そういうところにどんどん惹かれた。 けど、実際に彼女と話したことがあるか、というと、これが全然なくて。 他の女子とはそれなりに良く喋っているのに、彼女のグループは、あまり男子と話すタイプじゃないみたいで、勢い彼女と会話するきっかけすらつかめず、朝の挨拶も、席が離れているからやっぱりしたことがないまま。 そんな関係だから、見せてくれと言われたが、きょとんとした顔をして俺を見たのも、仕方ないと思う。 俺は俺で必死だったから、彼女がプリントを貸してくれると言うのを、「すぐに終わるから」と言って引き止め、自分の前の席に座らせた。 プリントを写しながら、あれこれ話しかける。 黙ってると、息苦しくってどうしょもなかった。 とにかく馬鹿みたいに話しかけて、けれど、「」って言葉がどうしても口から出せなくて、名前は避けて喋り続けた。名前を呼ぶのは恥ずかしかった。 その後、勢いで彼女の手を握って、握り返されて、その手をさらに上から握って、なんてことをしてしまった俺は、お礼を言うのもそこそこに、教室を飛び出してしまった。 「え、やだ。手まで握っちゃったの?」 真っ赤な顔をして部活に出た俺から、放課後の話を聞きだした先輩が素っ頓狂な声を上げる。 「うぁわわ。そんな大声で!」 あわてて先輩の口を塞ごうとしたけれど、先輩はするっと逃げて、「だいじょぶだよ、神しかいないんだから」と笑った。 「いやぁ、しかし信長がそこまで積極的に!」 「あ、でも、苗字すら呼べなかったらしいですよ」 いつの間にか隣に来ていた神さんが口を挟む。 「うわ、最悪」 いやぁねえ、なんておばさんくさい品を作りながら、先輩が体を仰け反らせる。 「しょうがないじゃないっすか。名前、恥ずかしいんすよ」 また赤くなっている顔を、先輩からも神さんからも見えないように反対側に向ける。 「けど、名前も覚えてくれてないとか思われるよね〜」 「あぁ、そうですね。プリント見たいだけだと思われましたね、きっと」 この二人、絶対に楽しんでる、と思ったけれど、言っていることは真実で。 それは思ったんだ。 教室を出てから、ああのプリントも一緒に出してやればよかった、とか、名前言うくらい、普通にすればよかった、とか。けれど、そんなの、もうやっちゃった後なんだから、後悔先に立たずってやつなわけで。 俺は小さくため息をついて、ついでに持っていたボールをついた。 「ノブ、ノブ」 先輩が俺のことを「信長」じゃなくて、「ノブ」て呼ぶときは、思い切り可愛がってくれるときか、思い切りからかうときだ。 どっちにしろ、それは先輩が俺のことを可愛がってくれてるからやる行為だ、というのがわかるので、そう呼ばれるのは嫌いじゃない。 けど、今日はどう考えても後者だろう。 振り返るもんか、と思って、知らん振りしてゴール目掛けてボールを投げる。 そんな集中力のない投げ方をするから、当然ボールはリングにはじかれ、後ろから先輩の「あ〜あ」という声が、どっしりと背中に乗っかってくる。 「の〜ぶ」 また先輩がそう呼ぶ。 ボールを拾って、振り返ると、先輩が壁に寄りかかって座っておいでおいでと手を振った。 神さんはもう自分のシュート練習に入っていて、反対側のゴールで綺麗な弧を描いている。 しぶしぶ先輩のそばに行くと、先輩は自分の横をとんとんと叩いて、俺を座らせる。 「ノブ」 「はい?」 先輩の手が俺の頭に伸びる。 先輩は人の頭をなでるのが好きだと思う。俺は良く撫でられている気がする。撫でられるのは子供扱いされてるみたいで、嫌だなと思うこともあるけれど、先輩の指は冷たくてなのにやわらかくて気持ち良いので、子ども扱いと天秤にかけても、撫でられることを選択してしまう。 やっぱり先輩の手は俺の頭にのっかって、ゆっくりと髪をすく。 「明日の朝、教室行ったら、その彼女にお礼言いなね」 「へ?」 「ちゃんと名前言って、お礼言うの」 「はぁ」 「男の子なんだから、それくらいやりなさいよね」 くしゃっと髪を乱暴になでて、先輩は笑った。 可愛い後輩の恋愛が上手くいくのを先輩は願っているのよ、と言って、あははと笑った先輩の顔は、心配しているというよりも楽しんでいる顔で、なんかそういうとこ神さんに似てる、と俺は少しむくれた顔をしながら思ったりした。 「あ、ねぇ、ノブの好きな子ってさ」 個人練習を終えて、自転車の神さんと途中で別れて先輩と二人きりになったとき、先輩が突然話を戻した。 「うわ、まだその話ですか」 勘弁してくださいよ、と言うと、先輩は「そうじゃなくて。もうからかわらないから」と笑いながら言った。 なんだよやっぱりからかってただけかよ、と思わず顔に出たのか、先輩に頬をつねられる。 「そういう顔すると、可愛い信長がだいなし〜」 両方の頬を軽く引っ張って、にこりと笑う。 「あたし、ノブの好きな子、分かるよ」 「へ? 知り合いっすか?」 「知らないけど」 じゃあ、なんでわかんだよ、エスパーかよ、とまた頬をつねられても困るので、心の中で突っ込む。 「んと、まずね〜、髪の毛は肩くらいのストレートだね。で、まつげ長めで、色白の、小柄な子」 当たり? と顔を覗き込まれる。 「なんで、知ってんすか?」 耳までぐわっと熱くなる。俺の好みとか、言ったことあったっけ? 「んふふ。分かっちゃうのよ」 ニヤニヤ笑う先輩に、思わず、 「エスパー?」 「あんた、ほんとにバカでしょ」 「ぐっ」 そりゃそうですけど。エスパーってどこの世界の話だよってやつだし。 けど、 「なんで分かるんすか?」 神さんにも、そこまで詳しくは言ってないし、クラスのやつにだって、友達にだって言ってないのに。 「あのね」 先輩は、にこにこと笑って俺の耳を軽く引っ張った。 「あのね・・・」 次の日の朝。 朝錬を終えて教室へ戻るとき、廊下でを見つけた。 「よう」 目が合う。軽く手を上げると、少し笑っては、「おはよう」と言った。 「朝練?」 「おう」 「大変だね、朝から」 「そうでもねぇよ。バスケ、好きだしな」 恥ずかしくて目が合わせられない。けど、こんなの先輩に言ったら、また呆れられるんだろうなぁ、と思い、そっとの顔を見る。 目が合ったはまた少し笑った。どきり、と心臓が跳ねる。 「清田くん、レギュラーなんだってね。すごいね」 さらりと自分の苗字を呼ばれる。それだけでもものすごく嬉しい。 なのに、 「まぁな」 今日もまた俺はを呼べないままで。 教室はもうすぐそこで、教室に入ったら、きっと今日はもう話しかけられない気がして。 思わず止まってしまった俺から少し先を行ったが、隣を歩いていた俺がいないのに気付いて振り返る。 「昨日はありがとうな」 「どういたしまして」 は笑って言うと、教室へ入っていった。 結局呼べなかった名前も、昨日先輩に聞いた話も、全てが自分の中で消化し切れない何かのように重たく残った。 昨日、先輩が俺の耳を引っ張って、こっそり、二人しかいないのに、こっそりと耳打ちした。 「信長のこと、ずっと見てる女の子がいたの。それが、さっき言った子。そうだったらいいなぁ、って思ったの」 そうだったらいいなぁって、信長の好きな子だったらいいなぁ、て思ったの。 そう言って笑った先輩は、「明日はちゃんと名前呼んで、またバスケ見においでくらい言ってきなね」と、俺とは反対方向の電車に乗って帰っていった。 当分先輩の期待には応えられそうにねえなあ、と思うと、思わずため息が出た。 ぼんやりとロッカーに荷物を詰めて教科書を出していると、下の段のロッカーを開ける音がする。 「あ・・・」 しゃがんでいたのは、で。 ほしいものはすぐに見つかったのか、取り出してそのまま立ち上がろうとするの頭を、俺は抑えた。 「うわっ」 の頭にかぶさった俺の手は、俺の開けていたロッカーの扉にぶつかる寸前で止まった。 「あぶねぇよ」 空いた手でロッカーの扉を閉じながら言うと、は、 「ありがとう」 と照れくさそうな顔をした。 中腰を伸ばすように立ち上がるの頭を、くしゃっとなでて、 「気をつけろよ」 なんて軽く言ってみたけれど、もう心臓はバクバク言ってて、 「あたしの頭は、バスケットボールじゃないよ〜」 って言いながら俺の手を外そうとするの手が、俺の指に触れるから、さらに緊張する。 けど、これってチャンスだ。 「の頭、ボールよりちいせぇんじゃねぇの?」 初めて呼んだよ!とか、もう今すぐ先輩に知らせに行きたい!とか、一人でテンションあがってたら、がびっくりした顔をして、 「名前、覚えてたんだ」 って笑った。 すげぇ可愛い。 半分気絶しそうな勢いで、「当たり前だろ!」って言ったら、「昨日、全然呼んでくれないから、覚えてないのかと思った」って眉を下げた。 慌ててフォローするみたいに「覚えてねぇわけないだろ!」って叫んだら、「清田くん、叫びすぎ」って今度は楽しそうに笑われた。 「なぁ、」 二人で少し笑って、そろそろSHRが始まる教室のドアを開けようとしたに、 「今度、うちの練習見に来いよ。ダンク見せてやるよ」 そう言ったら、今まで見た中で一番にっこりして、「うん!」って言った。 俺、ここでガッツポーズしてぇ! って思うほど幸せで、今日の部活は絶対に牧さんに勝てると思った。 |