走って走って走って。
筋トレして、練習をして、そうしたら、今よりももっと上手く、強くなれるんだろうか。


そろそろ夕日も完全に落ちる、その一歩手前。
走るのを止めて、立ち止まって空を見上げた。
だらだらと汗が垂れてきて、あぁ、頑張ってるな俺、そんな気分に一瞬だけなった。
ジャージのポケットにねじ込んでいたタオルで、適当に顔を拭いて、大きくため息をひとつ。
1年が入ってきて、2年になって。
レギュラーにはなれたけれど、いつ他のやつらに抜かれないとも限らない。
ここまでやったら大丈夫、そんなラインは存在していなくて、走っても、シュート練習をしても、なんとなくいつも不安が付きまとっている気がする。
もう一度ため息をつきそうになったとき、

「神?」

出そうになったため息を飲み込んで、視線を向ければ、先輩が制服姿で立っていた。
「どしたぁ?」
語尾を少し伸ばして、のんびりと近づいてくる。
隣に来るまでの間に、さっき飲み込んだため息を長い息と一緒に吐き出して、ちょっと視線を下に向けて、気持ちを切り替える。
「走ってました」
「そりゃ、見れば分かる」
はは、と笑って、まだ手に持っていたタオルで首を拭いた。
「先輩は?」
「3年の練習に付き合ってた」
「お疲れ様です」
「神こそ」
並んだ先輩が、に、と笑った。つられて少しだけ笑った。
二人で並んで、話すともなくただ夕焼けを眺めていた。風が吹いて、汗ばんだ体を冷ましていく。
居心地が悪いわけじゃないけれど、いい加減、なにか話そうか、そう思ったとき、先輩が笑った。
「去年さぁ、あの公園で花火やったよね」
先輩が指差した先には、小さな公園がある。
学校から駅までの間にある公園で、特に大きな遊具がないから、小さい割に広く感じる。
去年の夏、今日と同じように走っていたら、部活帰りの先輩たちに会った。
先輩たちは各々スーパーのビニールやら、バケツやらを抱えていて、俺を見たとき、一瞬、しまった、と言う顔をしたのを覚えている。
そりゃそんな顔にもなるだろう。
部活帰りに花火なんて。
なら学校から離れたところでやれば良いのに、と思わないこともないけれど、少しだけ通学路から逸れたその公園は、意外に死角なんだ、と後で先輩が教えてくれた。
「見つかったんなら、お前も共犯な」
そう言われて、一緒に花火をした。
「牧にパラシュート持たせてやったのが、あれ、一番面白かった」
思い出しているのか、先輩が声を立てて笑う。
「持たせた段階でへっぴり腰でさぁ、もう普段の牧からは想像つかなくて笑えた」
思い出して、俺も笑う。
牧さんがびびってる姿なんて、きっとこの先も見られないだろうから、貴重なものを見た。
そして、他の人たちは、というと、そんな貴重な牧さんよりも、飛び出したパラシュートの行方の方が大事だったようで、ぎゃあぎゃあ言いながら追いかけていた。

去年の夏。
俺たちが1年で入ってきて、先輩たちは今の俺と同じ2年で。
俺を誘った牧さんや、高砂さんたちは、もうレギュラーだった。
追いつかれることなんてない、そう思っていただろうか。
今年の清田みたいにずば抜けて上手いやつのいない学年だったから、そんな心配はしなかっただろうか。
それとも、今の俺と同じように、不安に思うことがあっただろうか。

さっきよりも少し強くなった風に、汗の引いた体が小さく震えた。
「あ、ごめん。体、冷えるね」
腕に手をやったのが見えたのか、先輩が俺の顔を見て謝った。
「や、大丈夫です。もう少し走るし」
手にしていたタオルで腕を軽く拭うと、そっか、と先輩が呟いた。
また黙ってしまった先輩に付き合うように、一緒に口をつぐんで公園のある方を眺める。
「大丈夫だよ」
独り言のように呟く先輩の声が聞こえて、少しだけ顔を声の方へ向ける。
先輩は公園の方を見たまま。
「あたしが言うことでもないけどさ。頑張った分って、ちゃんと結果に繋がるから」
向かい風に目を細めた先輩が、乱れた髪を抑えながら顔を上げた。
「って、去年も同じこと言った」
え、と小さく聞き返したら、「今の3年に」と笑った。
「みんな、おんなじだよ。今の神みたいな顔して練習してた」
夕焼けは色を変えて、ゆっくりと青が強くなっていく。
公園には明かりが点った。
「ちゃんと結果はついてくるから。ね。みんな、ちゃんと強くなってるから」
先輩が、俺の腕をぽん、と叩いた。
腕に触れた指先が思ったよりも温かくて、瞬きを繰り返した。
「大丈夫だよ」
今度は俺の顔をまっすぐ見て、先輩は言った。
「だから、今日は帰ろう」
拳を握っていた俺の手に、先輩の小さい手が重なった。
そうして、俺が走ってきた方向へと引っ張って歩き始める。
「オーバーワークは厳禁。今日はもう帰ろう」
学校への道をずんずんと歩く先輩に引っ張られながら、けれど掴まれた手は振りほどかないまま歩いた。
先輩も、俺がついてくるのは分かっているだろうけれど、手を離すこともなく、でも振り返らないで歩き続ける。
反対の手で持っていたタオルで、ぐいっと顔を拭った。
何にも言わない先輩の手はやっぱり温かくて、握ったままだった拳を開いて、そっと先輩の手を握り返した。
ちょっと驚いた顔をして振り返った先輩は、すぐに笑顔になって、今度は並んで歩いた。
「今年も花火、しようね」
明るい先輩の声が響いた。
「今年は、あれ、清田に持たせようか」
去年の牧さんよりもへっぴり腰でビビってる清田は、簡単に想像が出来て、思わず笑った。
先輩も想像してたみたいで、意地悪そうな顔で笑っている。
「夏が楽しみだね」
返事の代わりに、軽く握っていた手を、ぎゅ、と握り締めた。