部室の掃除は、年末にやっているはずだった。 はず、というのは、もうその段階で私は引退していて、年末大掃除には関わらなかったから本当にやったかどうかを知らない、ということで、少なくとも私が2年の時は、けっこうまじめにやったと思う。 なのに、私はゴム手袋に雑巾を持たされて、ジャージに着替えさせられて、部室にいる。 「いやいや、おかしいでしょ、これ」 久しぶりに着た部活用のジャージも、久しぶりに来た部室も、もう懐かしい、と思ってしまう。 毎日着ていた、来ていたものから離れると、ほんの数ヶ月でもはるか昔のことのようだ。 そんな懐かしさに浸る間もなく、私はすでに掃除を始めている牧の背中に声をかける。 「こんなん、1年にやらせればいいじゃん。なんで3年がやらなきゃなんないのさー」 「あいつらは練習があるだろ。それに、受験終わってるんだから、ヒマなんだろ」 正論だし、言われたとおり私は暇で、だから、「ジャージ着て部室集合」と連絡をもらって、うっかり来てしまったのだけれど。 他のやつらはどうしたんだ、と聞けば、みんななんだかんだで用事があって来ないらしい。 というか、きっとみんなはなにをやるのか、牧に聞いたに違いない。 私はジャージ=部活だと思って、なんの質問もしないままここに来てしまった。 これからは、少し疑い深く生きた方が良いのかもしれない、と今、ちょっと本気で考えたりしてる。 ため息をつきつつ、棚に並ばず積み上げられているバスケ雑誌や部誌やスコアブックの中から、一番上に載っているのをぱらぱらとめくる。 あぁ、これ、夏の大会のだ。 私の字。 めくるページ全てに、私の字が並ぶ。 今日の掃除で、このスコアブックたちはとりあえず箱に仕舞われる。そして、空いた棚には、これからの試合結果が並んでいく。 少し寂しくなる。 もういるところはここじゃないよ、そう言われてるみたいで。 引退して、卒業するのだから、いる場所はここではないことは確かなのだけれど。 じゃあどこが居場所なんだ、って聞かれると、まだ全く分からなくて、余計に寂しい。牧はどうなんだろうか。ちら、と牧を見ても、なんでもないような顔で、窓を拭き続けている。 パタン、と大きな音を立てて、スコアブックを閉じた。 それから、古いのも合わせて何冊もまとめて、ダンダンと机の上で整える。 準備良く牧が用意していたダンボールに、なるべく多く入るようにびっちりと隙間を埋めるように詰め込んで、雑誌はこれまた牧が用意していた紐で括る。 「これだけだっけ?」 黙々と窓ガラスを拭いている牧の背中に声をかける。 「あとはロッカーの上にある」 ちら、とこっちを見てから、おもむろに指差した先は、私の手の届かないロッカーの上。 「え、なに、取ってくれないの?」 「椅子に乗れば届くだろ」 「なあああ!!なに、いつの間にそんなに冷たい子に育ったの!昔の牧なら取ってくれたのに!」 私がきいきいと怒っても、牧は、 「この先、俺は取ってやれないからな。自立だ、自立。頑張れ、」 論点のずれたことを言う。 いやだから、高いところにものがあったら、この先は牧じゃなくて他の人に頼むよ。 そう思いつつ、この天然にはなにを言っても無駄だ、と諦めて、私は椅子じゃなくて机を引き摺ってロッカーにくっつける。上履きを脱いで、机の上に立つ。 「げー、埃だらけ」 「そのための雑巾」 「つかさぁ、掃除したんじゃないのー?なんでこんなに埃まみれなのさー」 「だからジャージで来い、って言っただろ」 「そういうことじゃない!」 私は手近なところからぐいぐいと拭いた。一気に雑巾が黒くなって、ロッカーに上るよりも前に机から降りて、雑巾を濯がないとならなくなった。 バケツは、と探すと、入り口にもう水を入れて用意されていた。 ゴム手袋がいかに裏起毛であろうとも、水は冷たいよな、と思って雑巾の端っこを持って、ばちゃばちゃやっていると、実はお湯だったことに気付いた。 振り返れば、牧は今度はモップを持って床の掃除を始めている。 お湯を用意したことが、牧なりの気遣いか、と思うと、らしくて笑える。 私はバケツに手を突っ込んで、しっかりと雑巾を洗った。 ロッカーとバケツを何回か往復した後、ようやく私はロッカーの上の雑誌やらスコアブックやら部誌を全て机に下ろしきった。下ろすといっても、机の上にまとめて放り投げるだけで、そのたびに埃が舞い上がって、牧に怒られたけれど。 「もうここまできたら、ここの埃は私が全部キレイにする!」 完全にロッカーの上に上がった私は、端から雑巾で磨きにかかった。 「ざっくりでいいぞ、そんな丁寧じゃなくても」 「今さらそれを言うかー。いい、徹底的にやってやる」 まったく、とため息をついた牧が、しっかり絞った雑巾をロッカーの上に投げ入れた。 私は汚れた雑巾を代わりに下に落として、また牧に怒られた。 ようやく終わる、角まで雑巾を進めたとき、なにかが書いてあるのに気付いた。 だれだ、こんなところにわざわざ落書きしたのは。 私は埃の下の文字が読みやすいように、けれど消さないように、撫でるように雑巾を滑らせる。 「なになに」 「牧、マジック取って」 私の出した声は、少し鼻声になっていたと思う。 けれど、牧は何にも気付かないように、黒のマジックをそっとロッカーの上に置いてくれた。 マジックなんてなにに使うんだ、なんてことも聞かずに。 書かれていた文字の横を、私は丁寧に拭いて、マジックの蓋を開けた。 大好きな人たちに、最後の言葉を残すために。 すん、と小さく鼻を鳴らしたら、牧が机に腰掛けて、ロッカーに寄りかかった。 ロッカーが小さく揺れて、「すまん」と謝る声が聞こえた。 「」 きゅ、きゅ、と私がマジックを使う音が響く中、牧が私を呼ぶ。 「なに」 きゅ、きゅ、と、私は手を休めることなくマジックを動かす。 「便乗するわけじゃないけど、俺も先輩と同じだから」 「なにが」 「卒業したら違う大学だけど、俺もどこ行ったって、お前の味方でいるよ」 私は手を休めて、顔を覗かせた。 下に座っていた牧も上を見上げていた。 目が合う。 「だから、何かあったら、呼べよ」 まじめな顔をして言う牧に、私は思わず笑った。笑ったら泣けてきた。 「なに言ってんの」 「おれがの味方だって話」 靴を脱いだ牧が、机の上に立ち上がる。今度は私が見上げる。 「ありがと」 「どういたしまして」 きゅ、きゅ、と私はまた言葉を綴る。私の書く文字を、牧は肘を突いてじっと見つめていた。 最後の一文字を書き終えて、私はマジックのキャップをする。ぱちん、と小さな音が部室に響いた。 「けど、先に見てるって、ずるいんだけど」 「去年のうちに、先輩に言われて場所を確認したんだよ」 「私宛なのに」 「すまん」 そう言って頭を下げた牧は、ロッカーに、がつん、と額をぶつけて、額をさする牧と目を合わせた私は、二人して声を立てて笑った。 大好きなちゃんへ ちゃんと一緒にマネージャーが出来て、本当に良かったし、すごく楽しかったよ! 2年間、一緒にマネージャーやってくれて、ありがとう! 大変なこともあったけど、ちゃんがいてくれて良かった。 部員ともめたときに、ちゃんが、「私はなにがあっても先輩の味方です」って 言ってくれたとき、本当に嬉しかった。 私も、なにがあってもちゃんの味方です。 卒業したらちょっと遠くなっちゃうけれど、どこにいてもいつでも、ちゃんの味方です。 これを読んでいる、ということは、ちゃんも卒業ですね。 卒業、おめでとう。 辛いことも、大変なこともたくさんあったよね。 けれど、いつも笑顔で乗り越えてきたんだから、きっとこれから先も頑張れるよ。 大好きなちゃん、卒業おめでとう! PS.部室掃除は、代々部長とマネージャーの最後のお仕事です。お疲れ様! |