「お疲れ〜」
私はみんなに手を振った。
外は真っ暗。
後ろに背負った体育館の明かりが、やけにまぶしい。
わいわいと帰っていく後姿を少しだけ眺めて、私は思いっきりため息をついた。なにやってんだ。
部員が帰った後に、部室を片付けて、細々とした雑用を終わらせて、それから私は独りで暗い夜道を帰る。
いつの間にか、それが当たり前になって、女一人で帰ると言うのに、誰も心配しやしない。
人が全く通らないわけでもないし、駅までだってたいした距離があるわけじゃない。夜だから暗いのは当たり前だけれど、まだお店もやってる時間で、真っ暗なわけじゃない。
校舎の中は暗いけれど、それだって1年も暗い中を歩いていたら、誰だって慣れる。お化けなんて、そうそう出るもんじゃない。というか、私に霊感なんてない。
だから、別に危険にさらされているわけではない。
けれど、それでも、女一人だ。
心配してくれたって罰は当たらないと思うけれど、当たり前とは恐ろしいもので、もう誰も帰りを待ってくれないし、早く帰れとも言ってくれない。
思えば最初の頃に、誰かを巻き込むとか、女一人は危ないとか、言っておけば良かった。
「だいじょーぶだいじょーぶ」
なんて、アホみたいなことを言わなければよかった。
と、いまさら思うけれど、まぁ、後悔は先に立たないから後悔なわけで。
久しぶりにそんなことを思いながら、体育館に戻った。
ときどき、いまさらなことを考えて、嫌な気持ちになる。こういうときは疲れがピークだ。忘れ物をしていないかざっと確認したら、部室の掃除をして、今日は部誌は書かずに帰ろう。
かかとを踏んだ体育館履きを、わざとべったんべったん言わせながら、体育館の中を歩き回る。
誰かが忘れていったタオルが、ステージの上に乗っかっている。
合宿中ならまだしも、普段の練習のときは、洗濯はマネージャーの仕事じゃないから、とりあえずそれをつまんで拾って、なんとなく、思わず、においをかいで、顔を顰めた。
それをもう一度ステージに放り投げて、「よ」と掛け声をかけてステージへと上がる。
腰掛けて、足をぶらぶらさせながら、体育館を見渡す。
ステージから見て反対側にもタオルが落ちている。青いタオルが、出しっぱなしのパイプ椅子の上に乗っかっている。あれも拾って帰らないとな、と思いつつそのまま視線をずらせて、入り口の人影に気付いた。
「まだ帰らないの」
おずおずと、という言葉がぴったり当てはまる感じで体育館を覗いているのは、今年入った1年生。
背は高いけれど、ちょっと細くて、牧の相手なんてどう見ても無理そうで、希望のポジションにはつけなかったはずだ。
そう、思い出した、神だ。
あんまり表情に出ないのか、監督にそういわれたときも、なんとも思っていなさそうな顔をして聞いていた。むしろこっちの方が、傷ついていないか、部活を辞めるっていうんじゃないか、と心配をした。
神だけじゃない。そういう人が、ここにはいっぱいいる。
そこから変わる人もいれば、辞めてしまう人もいる。
去年1年マネージャーをやっていて、辞めていく人を何人も見てきた。
「なに」
入り口で神がなにか言ってるようだけれど、いかんせん、声が小さくて聞こえない。
私は勢いをつけてステージから飛び降りると、におうタオルを引っつかんで入り口へと向かった。
「忘れ物でもした」
歩きつつ聞けば、「あの、いえ」と、やっぱり小さい声で首を振る。
「もうみんな帰っちゃったでしょ。神も帰った方がいいよ。朝練もあるんだから」
傍に寄っていくと、タオルをきゅっと握り締めて、耳を赤くして、下を向いていた神がこっちを見た。 近くに立つと、見上げるほど大きい神だけれど、顔つきはまだ中学生っぽい。とか言って、私だってひとつしか歳が変わらないんだから、子どもっぽい顔をしているんだろうけれど。
「あの」
どうしたの、ともう一度聞こうとした私よりも少し先に、神が口を開いた。
「あの、シュート練習、したいんです」
耳の赤さは頬まで到達して、真っ赤な顔をして、神が言った。




部室の中をざっと片付けて、書かないつもりでいた部誌を書き上げて、拾ってきたタオルは机の上にたたんで置いて、部室の鍵をかけた。
これからこの鍵を返して、教室へ戻って着替えて、暗い夜道を帰る。
部室を背にして、体育館を見た。
まだ明かりがついている。
練習中はシュートばかりをじっくりやる時間はない。
だから、終わってから練習をしたい、真っ赤な顔で神が言った。
「ちゃんと、鍵はかけて帰ります。掃除もします。片付けもちゃんとします」
泣きそうに見える顔で一生懸命言う神は、あのときのなんでもない顔をしていた神とは全然違って、けれど私はなぜか安心して、なぜか泣きたくなった。
「私、いろいろやることあるから、神が練習終わるくらいまでいるからさ、気にしないでいいよ。練習しなよ」
ね、と笑いかけたら、ようやく神も笑った。

鍵を指先で回しながら体育館の傍を通ったら、まだボールの音が聞こえる。
「がんばれー」
中は覗かずに、小さい声で呟いて、私は教室へと向かった。
着替えたら、部室の鍵は返さずに、体育館へ戻ろう。
神の練習が終わっていたら、体育館を閉めて、私が鍵を返しに行こう。
それから、もし、もし神が着替えて帰るのとタイミングが合ったら、一緒に帰ろう。
一緒に帰ろう、って言ったら、神はどんな顔をするんだろうか。そんなことを思ったら、ちょっとおかしくて笑えた。