しとしとと雨が降っていると、いつもよりも音が良く聞こえる気がする。いや、気のせいかもしれない。ただ単に、今の私の耳が、ダンボ並に大きくなっているからかもしれない。なんにせよ、今日はとにかく私の耳が良いような気がする。 じゃなきゃ、渡り廊下の途中で話してる二人の声が、こんなに聞こえるわけがない。 図書室前の廊下で、見知った背中を見つけて、走り寄ろうとした瞬間、向かい合ってる相手が見えた。 雰囲気としては、呼び出したのは彼の方で、その状況は、まさしく告白のそれで。 急ブレーキをかけて、しゃがみこむ。だって、見えちゃうから。彼女の方から私が見えてしまうから。 彼女は、うちの学年でも可愛いと有名な子で、なんだ、そうか、やっぱりああいう可愛い子が好きなんだな、と私は膝を抱えた。 わかってはいるのだ。 誰だって、可愛い子の方がいいに決まってる。 私と彼女を比べて、私を選ぶ人の方が断然少ないに決まってるし、いや、それだって自分可愛さに甘く採点してる部分があるから、武藤あたりに聞いたら、「100%あっちを選ぶ」とか言われるだろう。 そんなの、わかってるけれど。 ため息よりも前に涙が出そうになるのをぐっとこらえていたら、 「ごめんね」 と、それこそ鈴が鳴るような可愛い声がした。 「いや、こっちこそ急に呼び止めて悪かったな」 それに返す彼の声は、いつもと同じ、穏やかなトーンのままで。 膝を抱えていた状態から、思わず尻もちをついた。 なんだ、振られちゃったのか。 いや、そういう展開もわからなくはなかったけれど、なんだろう、この悔しさは。 ほっとすればいいのに、私。 彼が振られたら、自分にもチャンスがある、って思えばいいのに、なんでこんなに悔しいんだろう。 あんな声で、ごめんね、なんて言って。 彼のこと、たいして知りもしないくせに。 私には当然のごとくもったいないけれど、あの子にだって、もったいないくらいいい人なのに。 叫びたいくらいに、むかついた。 このむかつきの中には、私が間接的に(告白をする前に!)振られたことも、間違いなく含まれてるのはわかっている。だから、単なる八当たりだ。けど、こんな状況で失恋するくらいなら、むしろ上手くいってくれた方がまだましじゃないか。 壁に頭をごつん、と打ちつけて、ため息をついた。 はぁ、とこぼれたため息が、下に落ちるよりも先に、 「どうした」 って、大きな足が視界の端っこに入ってきた。慌てて顔を上げると、不思議そうな顔をした高砂が立っていた。 「なんでこんなとこにしゃがみこんでるんだ。具合でも悪いのか」 見上げた顔は、いつも通りの、ちょっとだけ心配そうな顔をした高砂で、 「具合悪いなら、保健室行くか」 まだしゃがみこんだままの私に向かって、大きな手を差し伸べてきた。 「だ、いじょぶ。具合悪くない」 立ち上がろうとした私の手を掴んで、ひっぱりあげてくれる。あったかくて、大きな手。 こんなに優しいのにな。私の手首を握る手だって、軽く掴んでいるだけで、引っ張るときだって、私が立ち上がろうとするのに合わせて、軽く引き上げるだけ。彼女、面食いなのかな。それだったら、まぁ正直なとこ、高砂だとあれだけど、でも、顔じゃないでしょ、そうでしょ。 じっと高砂の顔を見すぎたのか、今度は怪訝そうな顔に変わった。 「どうした」 「それ二回目」 「が、ボーっとしてるからだろ」 「雨の日はね、ぼんやりしちゃんだよ。天気のせい」 ちょっとだけ笑って見せた。そしたら、高砂も笑った。笑って、「なら良いけど」とだけ言って、さっきまでいた渡り廊下の方を見た。つられてそっちを見て、私はすぐに目を逸らせた。悲しい思いをしているのは高砂なのに。私の心配なんかして。 「あ、そうだ」 高砂の手が、私の頭をぽんと叩いた。 「、もう帰るんだろ。なら、すぐ戻るから、ちょっと待っててくれるか」 私の足元に落ちているバッグをちらっと見て、高砂はすぐに背中を向けて教室の方へ歩いていってしまった。 私は、図書室の脇にある、屋上へ向かう階段に移動して、さっきみたいに膝を抱えてしゃがみこむ。 同じクラスになって、席が近くて、話をするようになって。見た目怖いから、他の子はあんまり仲良くしていないけれど、実際話してみると、普通で、口数は多くないけれど、うるさいくらい喋る私の話を、時々相槌打ちながら聞いてくれる。 好きになるまでは、びっくりするくらいあっという間で、高砂が笑ってくれたら嬉しいから、しょうもない話でもなんでも、たくさんした。部活の前に「頑張ってね」って言うと、笑って「おう」って言ってくれるってわかってからは、毎日毎日、絶対に声をかけるようにした。 だんだん距離が縮まって、今年のバレンタインはいけるかも、とか思ってたのに、まだまだバレンタインまでは先が長い梅雨時に、じめじめした季節に合わせて、私もじめじめだ。 湿気でうまくいかない前髪を引っ張っていたら、また大きな足が見えて、今度は足の横に大きなスポーツバッグも降りてきた。 上を向いたら、高砂がぬいぐるみのついたストラップを私の目の前にぶら下げた。 「これ、が好きなやつだろ」 しゃがみこんだままの私に合わせるように、高砂も少し離れた所へしゃがみこむ。体の大きさが全然違うから、それでも高砂の顔は上にあるけど、さっきよりもずっと近い。笑って、「ほら」と私の方へストラップを近づける。 「親がもらってきたんだけど、そういや好きだったなって思ったから、持ってきたんだよ」 うちの家族がつけてても似合わないしな、って笑う高砂が、ぼやけた。 瞬きすれば、目に溜まった涙がぼろぼろと落ちて、高砂の顔にピントが合った。 驚いた顔で私を見て、慌てたように手が動いて、ストラップが床に落ちる。それを拾いもしないで、バッグを開けて、取りだしたタオルを、私の顔にそっとあててきた。 「なんか、あったのか」 「高砂が」 タオルを受け取って、涙が止まらない目元を、ぎゅっと抑える。そうしてても、次から次へ涙は出てくる。 「俺?」 高砂が、優しいからいけないんだ。 どうして、他に好きな子がいるのに、ただのクラスメートの好きなものを覚えててそれをわざわざ家から持ってきたりするんだ。 どうして、振られたあとだって言うのに、私なんかに優しくするんだ。 こんなストラップなんて、明日だって明後日だって、いっそ忘れてしまったっていいのに。 自分がつらい思いをした後に、どうして私に優しく声がかけられるんだろう。 私なんて、あの子に心の中で八つ当たりして、こうして泣いて高砂に迷惑かけてるのに。 「高砂が、優しくて、良い人なの、あの子、知らないだけだよ」 タオル越しに、嗚咽と一緒に漏れる私の声は、きっと高砂にも聞き取れてなくて、「え」って聞き返された。けど、二度も言う気になれなくて、涙が出すぎて声も出なくて、げほげほとせき込みながら泣いた。 「どうしたんだよ」って心配と焦りが混じったトーンで、何度も聞いてくるけど、やっぱり答えない私の頭を、高砂の手が、そっと撫でた。少しだけ近くに来て、私の頭を自分の肩に寄りかからせて、ゆっくりと頭を撫でてくれる。 高砂の肩は温かくて、頭を撫でる手は大きくて優しい。 私が高砂のこと幸せにしてあげられればいいのに。 けれど、高砂を幸せにできるのは、あの子で、私じゃない。 私は、こうして高砂に心配かけて、迷惑かけてるだけだ。 「どうしたんだよ、なにかあったのか」ってやっぱり心配そうな声が聞こえるけど、私の涙は止まらなくて、これはきっと高砂の分も泣いてるんだ、と思うことにした。 |