今日何度目かわからないため息が、またこぼれた。こういう役目は、俺には向いていない。他のやつに頼んでほしかった。けれど、周りを見回してみても、自分が一番妥当だ、というのは、分からなくもない。
武藤へ言えば関係ない方向へ飛び火して、牧に言っても事の次第を説明するのに時間がかかる。理解してもらうまでの時間が短く、口が重そうだから、という理由以外浮かばないけれど、おそらく自分に頼んできた理由はそれが一番なんだろう。
分かっちゃいるけれど、こういうのは、人の口を通して聞くものでも、言うものでもないだろう、とも思う。
それでも律儀にこうして聞いているのだから、自分も大概お人よしなのかもしれない。


結果は当然のごとく、「ごめんね」の簡単な一言で、別に自分が辛い思いをするわけじゃないから、こっちも「急に呼び止めて悪かったな」とだけ謝る。むしろ、この後のフォローの方が面倒臭い。
図書室へ行く途中だった彼女は、背中を向けて図書室へ向かい、自分は部活だから教室へ戻ろうと踵を返したとき、廊下の角に、小さなつま先が見えた。
近づいてみれば、同じクラスのがしゃがみこんでいる。
「どうした」
バッグも足元に置いてあるから、図書室へ行こうとしていたのかもしれない。
「なんでこんなとこにしゃがみこんでるんだ。具合でも悪いのか」
いつも元気なやつが、声をかけても返事もしないで、しゃがみこんでいるとなると、貧血でも起こしたのか、と心配になる。
「具合悪いなら、保健室行くか」
今日は一日雨が降っている。強く降るわけじゃなくて、ずっと霧雨のような、しとしと、というのがしっくりくるような、そんな雨の一日だった。こういう日は、なんとなくいろいろと億劫になる気がする。体の調子だって、なんとなくいまいちな気になる。
大丈夫、と言って立ち上がろうとするの手首を軽く掴んで、ゆっくりと引き上げる。引き上げれば体は軽くて、掴んでいる腕は柔らかい。あまり力を入れたら、握った手の跡が残ってしまうんじゃないか、と思うほど。
立ち上がったは、ぼんやりと俺の顔を見ていて、照れくさくなってまた「どうした」と重ねて聞いてしまう。
「それ二回目」
がボーっとしてるからだろ」
そう返すと、が笑った。
「雨の日はね、ぼんやりしちゃんだよ。天気のせい」
笑う顔に安心して、つられて笑う。笑う顔を見ていたら、昨日、父親がもらって帰ってきたストラップのことを思い出した。うちの家族にはどう考えても似合わない可愛らしいキャラクターのストラップで、「意外性が受けるかもしれないから、携帯につければ」という母親のしょうもない提案を聞きながら、そういえばが好きだと言っていたキャラクターだ、と気付いて、とりあえずもらってきたのだ。
、もう帰るんだろ。なら、すぐ戻るから、ちょっと待っててくれるか」
返事も聞かずに、背中を向けた。



教室に着くと、帰りを待っていた宮益がそそくさと近寄ってくる。結局ばれたのか、にやにやと笑いながら武藤も近づいてくる。
「どうだった」
期待交じりに聞かれても、どう答えろと言うんだ、思わず口ごもってしまう。
見た目は美人で、中身は真面目な優等生。宮益が好きになるのは分からなくもないけれど、それなら自分の口から聞くべきで、他人の口から聞かせる段階で、結果はおのずと見えているんじゃないだろうか。
「その日は予定があるから無理、だとさ」
一緒に出かけたいのなら、自分の口で誘えばいい。チケットまで先に買ってしまっているのなら、それこそ渡してしまえば可能性だって開けるかもしれないが、他人から間接的に誘われたとなれば、断る口実はいくらでも出てくるだろう。
彼女の好きそうな展覧会があるから、珍しく練習のない次の日曜日、一緒に行ってくれないか、と聞いてくれ、と言われて、当然のように「自分で言え」とは言ったものの、結局押し切られてしまってあんなことになった。
「そっか」
分かりやすく落胆して、自分の席へと戻っていく宮益の後ろ姿を見ながら、武藤が「あーあ」と軽い口調で言う。
「まぁ、最初っから分かってる話だけどなー」
彼氏いるんだってよ、と、今さらそれを言わなくても、というようなことを言って、武藤は離れていった。予定云々以前に、そう言ってくれればさらに話は早かったんじゃないか、と思いつつ、スポーツバッグの内ポケットに手をやる。小さなぬいぐるみが入っているのを確認して、バッグを肩にかけると、まだがっくりと肩を落としている宮益に、「ちょっと寄るところがあるから、先に部活行ってくれ」それだけ言って教室を出た。


図書室前まで戻って、の姿がないことに、少しだけ焦る。返事はなかったけれど、帰るとは思わなかった。
もう一歩だけ踏み出して、周りを見渡すと、屋上へ向かう階段の途中に腰かけているが見えた。バッグからストラップを引き抜いて、階段を上がる。足元にバッグを下してから、しゃがみこんだの顔の前に、ストラップをぶら下げた。
「これ、が好きなやつだろ」
言いながら、少し離れたところに同じように座り込む。
「親がもらってきたんだけど、そういや好きだったなって思ったから、持ってきたんだよ」
普段のなら、「まじで?!」と大喜びして、すぐにストラップを持っていくはずなのに、俺の顔を見上げたの目からは、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「え、おい」
びっくりした拍子に、ストラップが指先から抜けて階段に落ちる。拾わなくては、と一瞬浮かんだけれど、それよりも先に手はファスナーが開いたままだったバッグから、部活用に何枚か入れているタオルを取りだす。
そのタオルを、ぼろぼろと涙をこぼすの頬にそっとあてた。
「なんか、あったのか」
は、タオルを受け取って、ぎゅっと目元を抑える。
「高砂が」
「俺?」
思わぬ返しに、少し声が大きく出る。は何か言ったけれど、タオルの向こうで、泣きながらだから、何を言ったのか、聞き取れずに、「え」と聞き返してしまう。でも、はせき込みながら泣くばかりで、何も答えない。
どうすりゃいいんだ、こういうときは。
「どうしたんだよ」
慣れてないんだ、こういうのは。どうしたらいいのか、さっぱりわからない。
は泣きやみそうもなくて、だから、そっとの頭に触れた。ぴくん、と一瞬の頭が動いた。それでも、そのままゆっくりと撫でる。小さい体を震わせて泣き続けるから、少しだけ近づいて、自分の方へと頭を引き寄せた。

こんなの、ただのクラスメートがやってもいいんだろうか。からしてみれば、俺はたんなるクラスメートなのに。
見た目のせいか、あまり近づいてくる女子がいない中、はそんなことも気にしていないのか、毎日何かと話しかけてくるし、部活の前にもいつも声をかけてくる。
俺にとっては話しかけてくる数少ない女子で、話していればいいやつだ、というのは分かったし、いつも笑顔で話しかけられれば、特別な気持ちを抱くようになるのは当然かもしれないけれど、にしてみれば、同じクラスの男子、というだけだろう。
明るい性格だから、話す男子は俺だけじゃないし、バスケ部で言えば、武藤とも去年同じクラスだったからか、仲が良かったように思う。
そのが泣いているのは、俺のせいだ、っていうのか。心当たりなんて、何もない。今日だって、HRが終わってから、「部活頑張ってね」と笑顔で言われたばかりだ。
「どうしたんだよ、なにかあったのか」
だから、そう聞くしかない。
でも、は相変わらず答えなくて、ただ泣くだけで、俺はと言えば、ただ泣き続けるの頭を、そっと撫で続けることしかできなかった。