今日中に出せ、と言われていた課題を放課後に出しに行こうと思っていたら、同じクラスの清田くんに、「見せてくれ」と言われた。
それがあんまり必死な顔だったので、断るのもかわいそうになり、「どうぞ」とプリントを貸してあげたら、「すぐに返すから」と、清田くんの前の席に案内された。
どうせ暇だし、まぁいっか、と窓際のその席に座って、ぼんやり外を眺めていたら、課題を写しているはずの清田くんが、ああだこうだと話しかけてくる。


私は適当に相槌を打って、外を眺めていた。
思えば、同じクラスだけれど、それ以外の関連はまったくないような清田くんに、なんで私がプリントを見せてるんだろう。
普段、朝の挨拶すらしたことあったかどうか、記憶が定かじゃないのに。
そもそも、この人、私の名前、知ってるんだろうか。
そういえば、いろいろ話しかけてくるけど、苗字、呼ばれてない気がする。
名前なしで会話を続ける清田くん。
名前なんてなくても、会話っていうのはどうにか続くもんなんだなぁ。
でも、それはちょっと悔しい。
私なんて、清田くんのフルネーム言えるのに(まぁ、信長って名前は覚えやすいけど)。


「ねぇ」

さっきからぺらぺらと動く口を見て、それから清田くんの目を見る。
悔しいので、意地の悪い声が出る。

「課題、終わらないよ?」

清田くんは顔を赤くして、「わりぃ」と言うと、しゃかしゃかとシャーペンを動かしだした。
その勢いでやってくれれば、あと20分くらいで終わってくれるかな、と期待する。
別に一緒にいるのがいやなわけじゃないけど、この人、私の名前すら覚えてないくせに、プリント借りたいだけのくせに、と思ったら、やっぱり悔しい。
いろいろ話しかけてくれるのは嬉しいけれど、それだってきっとプリントを写してるお礼みたいなもんだろうし。
これが私じゃなくて、他の子でも同じことを話してるに違いない。

けれど、懸命に写す清田くんが黙ってしまったので、今度はこちらが手持ち無沙汰になる。
仕方ないので、書き写された内容を確認していると、間違えを発見した。

「ここ」

動いているシャーペンの邪魔にならないよう、そっと指を伸ばす。

「え?」
シャーペンを止めて、清田くんが顔を上げる。
「ここ、間違ってるよ」
私の指は、間違った箇所の横をきちんと指した。
「スペルが違うよ」
正しいスペルを、ゆっくりと言う。
清田くんは「うわわわ」と焦りながらペンケースをあさっている。
けれど、消しゴムが出てこないみたいだったから、私はかばんからペンケースを出して、消しゴムを差し出した。
ついでに消してあげた。

ら、

「うわ!手、ちいさいのな!」

と、いきなり手をつかまれた。
今度は、こっちが「うわわわわ」ってなったけど、そんなのお構いなしで清田くんは消しゴムごと私の手を握った。

「消しゴム持つんで、いっぱいいっぱいな感じだな」

私の手は、すっぽり清田くんの手の中に入ってしまう。
男の子に手を握られるなんて、あんまりにもなかったことだから、びっくりして、顔が熱くなる。
清田くんは、平気な顔で笑っている。

「こんなんで、もの、持てるのか〜?」

私の手を握ったまま、清田くんは手をぶんぶんと上下に揺らす。
一人で赤くなるのも悔しくて、私は握られた手から消しゴムごと逃れると、消しゴムを机に落とし、今度は私の手を離して宙に浮いていた清田くんの指先を、ぐっと握って笑った。
一瞬驚いたような顔をしたあと、清田くんの耳が、ぱぁっと赤くなる。

「持てるよ、まぁ、限界はありますが」

そして、もう片手を添えて、両手で清田くんの手をくるむようにする。

「両手なら、清田くんに負けないよ?」

ね? と手を離そうとしたとき、さらに上から清田くんの空いてる手が押さえてきた。

「俺の手は、片手でバスケットボールも持てるんだぜ?」

にやりと笑って、ぎゅっと私の両手を握った。

「俺の勝ち」

かかか、と笑った清田くんから私の手は解放された。
清田くんは私が消したところに正しいスペルを書いて、ざっと見直してから時計を見て、「やべっ」と声を出すと、あわてて立ち上がる。
スポーツバッグを乱暴に持ち上げて、プリントをしわしわにしながらぐっと握って、それからようやく私の顔を見る。

「プリント、ありがとな」

にっと笑って、清田くんは教室を出て行く。
結局一度も私の苗字は呼ばれることなく(プリントに名前書いてあったのに!)、突然手を握られて、プリントを見せてあげたんだから一緒に提出してくれれば良いのに、自分の分だけ持って清田くんは行ってしまった。
一人でドキドキして、緊張して、一人で空回りしてる。そんな自分がバカでしょうもない、と口元が緩んで、笑ってしまう。
一人で苦笑いしながら清田くんの机に頭を乗せ、窓から外を眺めた。
初夏の午後3時の空は、嫌味なほどに青くきれいだった。