椅子の背に軽く腰掛けた俺の肩に顔を埋めて、小さくしゃくりあげながら泣き続けるその体を、腕を回して支えてやる。 さっきから、ずっと泣きっぱなしだ。 他のやつらの前では、気丈に振舞っていたくせに。泣く清田のことを、今の俺のように受け止めていたくせに。 インターハイが終わった。高校生活最後の夏が終わった。準優勝。最後の最後で負ける、というのは、むしろ3位になるよりも悔しいのではないかと思う。 やるだけのことはやったのだから、何度言い聞かせても、あの時別のことをしていたら、いまさら考えても仕方のないことが何度も頭を過ぎった。まだ試合が終わって数時間。ようやく一日が終わろうとしているところだ。今朝までは、優勝旗を持って帰ることだけを考えていたのに。 そんなことを一人、ホテルの部屋で考えていたら、ドアがノックされた。 「今、牧一人? いい?」 私服姿になったが、ぐっと手を握り締めて立っていた。 「ああ、いいけど」 少しドアからずれて、部屋の中にを通す。は、ベッドの端に浅く腰をかけて、窓の外を見つめた。 「疲れたか?」 さっきまで、悔し泣きする清田を慰めたり、後始末をしたり、監督と帰りの打ち合わせをしたり、と慌しく過ごしていたはずだ。試合に出ないとは言え、マネージャーは選手以上に精神的にくたびれることも多いだろうに、今日もそんなことはおくびにも出さなかった。 なのに、今は今まで見たこともないような、ぼんやりした顔をして窓の外を見つめている。 窓際に置かれた椅子の背に、軽く腰をかけてそう言うと、ふ、と視線をこちらに合わせて、 「ううん。大丈夫。牧こそ。ごめんね、休んでたのに」 眉を寄せて笑った。 「一人でいると、いろいろ考えるからな。来てくれて良かったよ」 本心と、建前と。半分半分、というところだろうか。けれど、来たのがで良かった、というのは本心。 「あたしもね、一人でいると、なんか、ね」 立ち上がって、隣に立ったその頭は、軽く腰をかけている俺の肩よりも低い。 「あたしは試合に出てないし、みんなが頑張ってるのも知ってるし、これは今日がそういう結果になっただけで、他のときだったらまた違ったとか、いろいろ考えて」 目を合わせずに、窓の向こうを見ながら、は一気に喋る。 「あたしが、泣くのは、違うと思うんだけど」 ぐっと拳を握り締めて、の肩が揺れた。 「お前だって、頑張ってきただろ」 体をの正面に向けて、揺れる肩に手を伸ばす。思っていた以上に細いその体を引き寄せると、腕の中に納まる。 「一緒に、頑張ってきただろ」 握り締めていた拳が解けて、そっと俺の胸元に触れる。 「マネージャーがいるから、俺たちはバスケだけやれるんだしな」 額が、肩にことりと当たる。嗚咽が漏れる。 「だから、が泣いてもいい。だろ?」 体に回した腕に、少し力を込めた。の両腕が背中に回って、ぐっとシャツを握り締める。 「ごめんね」 そう呟いたのも聞き取れないほど、はしゃくりあげ、ぼろぼろと泣いた。 こいつの心の中を、どんな思いが過ぎっていたのだろう。試合が終わりを迎える瞬間、そして、その後。俺たちを迎えるとき。泣く清田や後輩マネージャーを慰めるとき。明日の確認や準備をするとき。 ずっと、ずっと泣くのをこらえていたのだろうか。 椅子の背に置いていたもう片手を、の体に回して、泣きじゃくるその頭にそっと頬を寄せた。さっきまでずっとぐるぐると回っていた悔しさが、の涙と一緒に零れていくような気がした。 「冬は、必ず優勝旗を見せてやる」 肩に当たっていた頭が、少し揺れて頷く。 「だから、それまで一緒に頑張ろう」 背中のシャツを握り締めていた手に力が入るのが分かる。 「うん」 まだ少ししゃくりあげながら、それでも、 「うん」 また頷いて、握り締めていたシャツを離し、顔を少し上げる。寄せていた頬を離して、上がったその顔を見た。思わず笑みが零れる。 「、よく泣いたなぁ」 背中に回していた手を、の頬に沿わせる。手のひらで涙をふき取ってやると、ようやくが笑った。 「ごめんね」 「いいよ」 「シャツもぐしょぐしょになっちゃった」 「よく泣いたからなぁ」 「うん」 「すっきりしたか?」 「うん。ありがとね」 「うん」 の手が、背中から離れる。俺も、背中に回したままだった片手を椅子の背に戻す。自分の頬を両手で挟みこんで、涙をふき取ると、今度は少し声を漏らしてが笑った。 「洗面所、貸して。顔洗ってくる」 そう言ってバスルームへ向かうの背中に、タオルを投げてやる。上手いことキャッチして、の体がバスルームへ消えた。 シャツの胸元は、涙の跡がしっかり残っていて、指先で触れるとしっとりと冷たさを感じる。 着替えるかどうしようか、少し考えていると、「ねぇねぇ」と、思いの外元気な声がして、バスルームからが顔を拭きつつ出てくる。 「あたし、すごい顔してた。てか、今も酷いけど。まぶた腫れてる」 「あれだけ泣けば、腫れるだろ」 「牧が優しくするから」 「俺のせいかよ」 「みんなにさっきの見られてもやばいけど、今の顔見られるのもやばい」 うわあ、と言いながら、ベッドにばたり、と倒れこむ。むしろ、俺のベッドに寝てるのを見られる方がやばいだろ、と思う。 「しかも、泣きすぎて眠い」 「じゃあ、部屋帰って寝ろよ」 「や。動くのめんどくさい」 さっきまでは、あんなに可愛く泣いてたくせに、もう戻ってしまったのかと思うと、なんだか無性に残念になって、ため息が出る。 は、というと、スリッパを器用に左右バラバラに飛ばして、ベッドに完全に乗り込むと、ぱたりと枕へ顔を埋めている。 「ご飯の時間まで、寝かせて」 呟きつつ、もう目は閉じている。 諦めて、寝顔を見つめていると、小さな寝息が聞こえてきた。1日動き回って、最後にあれだけ泣けば、そりゃ疲れるだろう。 けれど、この状況を、他のやつに見られたら、いったいどうやって説明すればいいんだろうか。 もう一度ため息をつくと、なるべく音を立てないようにベッドサイドに立った。起こさないように、の体の下からふとんを引き出しかけてやる。熟睡しているのか、身動きひとつしない。ベッドに腰掛けても、起きる気配はない。 窓の外に目をやると、まだ夜には程遠い明るい夕焼けが見える。家に買って帰るみやげ物を選びに行った同室の高砂だって、さすがにそろそろ戻ってくるだろう。そのときも、きっとこいつはここでこうして熟睡したままで、俺は事情を説明するのに四苦八苦するに違いない。 どう説明したら、ここでが寝ているのが、俺のベッドで寝ているのが、自然に聞こえるだろうか。 ん、と、小さく声をたてて、が身じろぎする。ふとんから出た指先が、ベッドについていた俺の指先に触れた。指の先を少しだけつまんで、すぐに離す。 「あとで何言われても知らないからな」 が俺の胸で泣いたことも、俺の腕がを抱きしめたことも、全部黙っているだろう。疲れて寝てしまった、とでも言おうか。それとも、本当のことを全部喋ってやろうか。 どうせ言えるわけもないことを考えて、もう一度横で眠るその顔を見る。 明日帰って、少し休んだら今度は冬に向けて練習が始まる。 冬はこんなふうに泣き疲れて眠ったりしないで、みんなで笑って帰れるよう、一緒に頑張ろうな。 顔にかかっている髪を掬い上げてやったら、寝ているはずのの口元が、少し笑ったような気がした。 |