保健室は内緒話には最適なんだそうだ。
保険の先生は若くてどちらかといえば自分達寄り。お友達感覚で皆さん、接してくれる。つまりは、敬語はどこへやら、タメ口だ。
一応「先生」とつけてくれるところで、どうにか自分が先生なのだ、と分かるような、そのくらいのポジション。気楽といえば気楽だけれど、なめられていると言えばなめられているわけで。先生としてこれはいかがなものか。


私は机に向かって書類を作りながら、後ろで男の子の品定めをしている2年生の女の子たちの会話を、聞くともなしに聞いていた。
「1年のかっこいい子、いるよね」
「あの子!流川くん!」
「あ、かっこいいよねー。背も高いし、顔も良いし」
「親衛隊できてるんでしょ」
「つか、あれはやばいよ」
「ねー。親衛隊とか言って、だっさいよね」
女の子の目はいろんなところに向いている。アンテナの張り方がもうすでに私とは大きく違うのだな、と思いつつ印を押す。これで提出書類は出来上がった。今日の主な仕事はこれにて終了。後は具合が悪くなったり怪我をした生徒の面倒を見れば良い。
後ろの会話はとどまることを知らず、男の品定めは続いている。
さっきから出てきた数を数えれば、両手でも足らないんじゃないだろうか。
今年から先生デビューした私は、まだ全員の名前と顔が一致しない。
さすがに流川くんは有名どころだから分かるけれど。
時計を見上げれば、もうそろそろ昼休みが終わる頃合。適当にこの子達を帰さなくては...。

「あ、もう一人!3年の三井先輩!」
「あー、バスケ部の?」
「あの人もかっこいいよねー」
「背、高いし、なんか、あの不良っぽい感じが良いよねー」
「ね、せんせもそう思わない?」
いきなり振られて、私は苦笑いしながら振り向く。
「みんな、よく見てるね」
「せんせ、三井先輩分かる?」
「あー、うん。分かるよ」
「お!先生もお目が高いね〜。かっこいいよね、三井先輩」
「三井先輩、彼女いるのかなぁ」
「いなかったらあたし、立候補した〜い!」
私は中途半端に笑顔を貼り付けたまま、また時計を見上げた。あと1分で鐘が鳴る。
「ほら、もう時間だから教室戻りなさい」
きゃあきゃあと賑やかに保健室を出て行く彼女たちの背中を見送り、ドアを閉めながらため息をつく。
元気すぎて、ついていけない。
高校生の頃なんて、もう5年も前になっちゃうのか、と思ったら、なんだか一気に老け込んだ気がした。


「なにため息ついてんだ」
しゃ、とベッドのカーテンが開く音がする。
「三井くん、人気だね」
眠そうな顔をして上履きをつっかけながら近づいてくるのは、さっきまで話題の人だった彼。
彼女たちは、ベッドで寝ている人がいるかどうか、全く気にせずに話していて、私も敢えて教えはしなかった。別に具合が悪くて寝ているわけではないのだから、うるさかろうがなんだろうが、構わなかった。昼寝をしに保健室に来る彼のことなど、心配しても仕方ない。
「おう」
「彼女いないなら、立候補するってよ?」
「いらねーよ」
あくびをしながら即答する彼に、私は笑った。
「彼女、作らないの?」
「なんでいないって決めつけてんだよ」
「いるって聞いたことなかったし。あ、いるの?」
「いねーけど」
「立候補する子、いっぱいいるんじゃない?」
最近の彼なら、保健室での話題にも良く出てくる。人気急上昇中だ。同じ学年なら不良時代の彼を知っているだろうに、今の彼の方がそれを上回ったのか、3年生の女子の間でもなかなか好印象になっているらしい。
告白したのに振られた、という話も、そういえば聞いた気がする。バスケに集中したいから、と言われたそうだけど、それを信じる派と疑う派とに別れている。傍から聞いている分には、人のそういう話は面白い。
「別に」
「ふーん」
「やきもち焼いたか?」
にやにやしながら顔を覗き込んでくるのを、
「なんで?」
と切り返せば、
「“寿くん”がもてるから」
あぁ、このにやついた顔を彼のファンに見せてあげたい。
「もてるのはいいことじゃない? あの時代からじゃ考えられなかったよね」
言ったら頭を小突かれた。私、先生なのに。
「まぁ、保健室人気投票から行くと、流川くんの方が上だから。頑張れ三井くん」
お返しににやりと笑ってやれば、一気に不機嫌そうな顔に戻る。本当に素直だな、と今度は普通に笑みが零れる。
「俺の方が大人の魅力ってやつで上だから、いんだよ」
不機嫌な顔のまま黒いビニールソファにだらしなく座り込むと、大きなあくびをする。
もうチャイムは鳴ってしまった。
「三井くん、授業は? 足りるの?日数」
少し離れたところに立って、薬の確認をする。
「あー、たぶんな」
「たぶんじゃないでしょ。赤点取ったら、インターハイいけなくなるよ」
「だいじょぶだって」
「どこがよ。今まで散々サボってきたくせに」
「うるせぇよ」
下を向いて保健室の使用人数を数えていると、後ろから腕が伸びてきて、私の背中が彼の胸にぶつかった。
「な、ちょっと、なにしてんの」
「いいじゃん。誰もいねーし」
「そういう問題じゃないでしょ。誰か入ってきたらどうすんのよ」
「かぎ締めるか」
「は? だから、そうじゃなくて、離しなさいよ」
「二人のときは」
「え」
「名前、だろ」
まるで子どもの言い分だ。笑ってしまう。大きな体しているくせに、本当に小さい頃から変わらない。
「二人って、ここ、学校でしょ。学校は別です」
「同じだろ。誰も見てねーし。まぁ、俺は見られてもいいけど」
しれっとそんなことを言う彼の手が、それでも少しあったかくなっているのは、やっぱり照れてるからだとは思うけれど。
「とりあえず、この手は離してね」
手のひらをつかんで離させると、私は自分の体を反転させて彼の腕から抜け出る。
本当にいつの間にやら大きくなって、ちょっと目つきは悪いけれどそれすら含めて良い男に育ったなぁ、なんて自分よりもだいぶ上にある顔を見た。
「寿くん」
名前を呼べば、少し嬉しそうな顔をして、すぐにそれを隠すかのように横を向く。
「んだよ」
「授業はちゃんと出なさいね」
本当に嫌そうな顔をしてこっちを見た寿くんの顔を見て、ふきだしたら長い指ででこピンされた。
「さっきお前、俺がかっこいいかどうか聞かれて、答えなかったろ」
「え、そうだっけ?」
「言わなかった」
「そう? まぁ、いいじゃん」
「よくねぇ。今答えろ。そしたら授業行く」
何その脅しのような交換条件は。
「って言われてもねぇ。赤ちゃんの頃から知ってる寿くんだしね」
「赤ん坊の頃の話はいいんだよ。今がどうかって話してんだよ」
「今、かぁ」
じっくりと顔を見つめる。すぐに照れて目をそらす辺り、やっぱり「可愛い」と思ってしまうけれど、
「うん、かっこいいよ」
そう言ってあげたら、にやりと笑った。
「さ、授業出なさい。赤点とっても面倒見てあげられないよ」
「なんだそれ。取らねーよ、赤点なんざ」
「はいはい。それはテストが終わってから言ってね」
軽く背中を押して、ドアへと向けさせる。肩なんて、だいぶ上にあるからなかなか触ろうとも思えない高さだ。
「なあ」
「ん?」
ドアまで背中を押して行き、からり、と引き戸を開ける。授業中独特の静かな空気が流れている。少し離れたところから聞こえてくるのは、体育中の生徒の声と、音楽室から漏れる合唱。
この当たり前の時間が、ようやく自分に馴染んできたな、と思っていると、
が立候補すれば、当確間違いなしだぜ」
少し笑って寿くんが振り返った。
「は?」
何の話?と聞き返すと、
「んだよ。わかんねーならいいよ」
じゃあな、とまたもや不機嫌そうな顔をして寿くんはずんずん歩いていってしまった。そっち、君の教室じゃないでしょ、と思ったけれど、声をかける間もなく、角を曲がってしまった。何怒ってるんだろう。
首をひねりながらドアを閉めて、ベッド直さなくちゃ、とベッドに近寄り枕カバーを外そうと手をかけた瞬間、寿くんの言葉の意味が分かって、思わず引っ張り上げた枕を抱え込んでベッドに腰を下ろす。
「なに言ってんの、あの子」
抱えている枕から、寿くんの使っているシャンプーの匂いがした。