あ〜、やばいな、傘忘れたよ、駅から学校までけっこう遠いよな、コンビニでかさ買うか、とかけっこう大降りに降り出した雨を改札で眺めていたら、後ろから声をかけられた。
「かさ忘れたの?」
今日降るって言ってたのに、と隣に並んだのは
「あ、先輩」
「おはよう」
「おはようございます」
マネージャーの先輩で、先輩はちゃんとかさを(しかも折り畳みじゃなくて普通の長傘)持っていた。
やっぱり女は用意がいいよな、と思ったけれど、周りの人はみんなかさを持っていて、持っていないのは俺くらいだった。
「降るなんていってましたっけ?」
「言ってたよ、降水確率70%だもん。普通は持つでしょう」
そう言って傘を開いた先輩は、その傘を俺に持たせて、持たせた腕をつかんだ。
「学校まで入れてってあげる」
先輩の傘は赤のギンガムチェックで、女物っぽかったけれどサイズは大きめで、俺の横に並んだ先輩は小さめだから、ああ、二人でちょうどだ、と思った。
思ったけれど、次の瞬間、ぴたりと寄り添って歩く自分たちに思い切り照れた。


「越野、あんまり離れて歩かないでね」
俺の腕をつかんだまま先輩が見上げる。このままだと俺たち、腕を組んで歩いてるみたいですが、と思ったけれど、これはこれでおいしいシチュエーションだから黙っていようと考え直していたところだったので、少し焦る。
「へ? え?」
「離れたら、お互い濡れるもん」
あたし濡れるの嫌だし、先輩がまた少し近づく。
「じゃあ、俺入れてかない方が良いじゃないですか」
一人で入っていればこの傘のサイズなら濡れずに学校まで行けるのに。
「え〜。越野が濡れたら可哀想じゃない。風邪引いたりしても大変だし」
越野の体が心配、なんて、そんな顔で笑って言われたら、だいぶときめいてしまう。
けれど、どうせ
「マネージャーだしね、部員の健康も気になりますよ」
ってやっぱりその口から出てくるわけで。決して特別なわけじゃない。自分だけ心配してくれているわけじゃない。

入学してすぐにバスケ部に入部届けを出した。
最初の挨拶のとき、新入部員全員の顔をデジカメで撮っている人がいて、それが先輩で、何やってんだこの人、と思った。変な人がマネージャーやってんな、と思った。
けれど、何十人と入った部員の名前を最初に覚えたのも先輩だった。
どんなに目立たないやつでも、先輩は名前を覚えていて、何かあるとすぐに声をかけてくれた。
つらそうな顔をしていればさりげなく声をかけてくれたし、休みがちになったやつには廊下で見かけると遠くからでも名前を呼んで練習においで、と言ってくれた。
そのせいか、俺の学年で途中で辞めたやつらは、先輩の代よりもだいぶ少なかったらしい。
先輩が全員の写真を撮っていたのは、早く名前を覚えてるためだった、って後から聞いた。
そんな先輩は、部員のアイドル的存在で、誰かの特別になんてなるわけもなく。
きっと、さっき駅で困ってたのが俺じゃなくても、他の部員の誰でも、先輩は同じように声をかけて、こうして腕をつかんで、隣り合って学校まで行くに違いない。
優しいんだ、先輩は。

「越野?」
ぼんやりとそんなことを考えていたら黙り込んでいたみたいで、気付いたら先輩に顔を覗き込まれていた。
「大丈夫?」
「え?なにが?」
「なんか、ぼんやりしてるから。悩み事?」
話なら聞くよ、と笑う先輩に、あなたのことで悩んでますよ、って言ったらどうするんだろうか。
そんな意地悪な考えがちらりと過ぎるけれど、笑って「なんでもないですよ」と答えた。
気付いたら先輩の手は俺の腕から離れていて、けれど二人の距離は相変わらず近いままで、時々先輩の肩が俺の腕に触れる。
先輩はこの触れる腕にどきどきしたりもしないんだろうな、と思っていると、先輩が俺の顔を見上げた。
「ねぇ」
「はい?」
「こうやって歩くのって、ちょっと照れるね」
少し赤くなった先輩が可愛くて、思わず笑ってしまう。
「え、なんで笑うの? そこ、笑うとこ?」
「いや、先輩かわいいなぁ、と思って」
「それなに、なんか、馬鹿にされてる気がする」
「違いますよ。ほんとにかわいいなぁと思って」
本当に可愛くて、俺の顔はニコニコしていたと思う。けれど、先輩は笑う俺をチラッと見て、
「越野は慣れてるんだね、こういうの」
そう言って前を向いた。
「え、慣れてないっすよ。初めてだし」
女子と同じ傘で学校に行くなんてこと、したことないし。
あわてて言うと、今度は先輩が笑って、「越野、可愛い」と言って水溜りをまたいだ。
「これ、カップルだったら腕とか組んじゃうね」
「なんなら俺の腕、貸しましょうか?」
冗談めかして傘を持つ腕を曲げると、先輩はあははと笑って、「それは彼女のために取っておきなよ」と言った。
「いつになるかわかんないから、使っちゃってもいいですよ」
腕を少しあげると、
「じゃあ、ここまでお借りしましょう」
俺のシャツを少しつかんだ。指先がシャツ越しに腕に触れて、やっぱり少し心拍数が上がった。
シャツをつかまれると、さっきよりも距離が縮まって、どきどきする音まで聞こえるんじゃないかと、そっと先輩の顔を伺う。
視線に気付いた先輩が、ん?と顔を上げる。少し頬を赤らめている先輩は、やっぱり可愛かった。

朝練前で早すぎたのか、同じ部活のやつにすら会わなくて、誰かに見られなくて良かったという気持ちと、誰かに見せてやりたかった、という気持ちが交互にやってきた。
けれど先輩は、誰かに見られるとかそんなこと全く意に介していないようで、昇降口まで来ると、じゃあまた体育館でね、と言って手を振って去っていった。
さっきまでつかまれていたシャツの腕の部分は、少ししわになっていた。そこに触れた指がまだ先輩のぬくもりを感じた気がして、先輩がしたのと同じように、自分の腕をそっとつかむ。
先輩も同じようにどきどきしてくれたら良いのに、と思った。